珍しく(というか、10年以上ブログを書いていて初めて(笑))、5つ以上のはてブがついた前回の続き。
当館のサービス計画について、引き続き館内議論が続いているのですが、その中で、久しぶりに「図書館未設置市町村(便宜的に、市も入れています)の解消」というコトバを聞きました。
ボクが就職した当時(1990年代後期)には、盛んにこのコトバを耳にしたのですが、最近は、当時に比べると、あまり聞かれなくなったように思います。
それは、「市町村合併」で、見かけ上の設置率が上がったとか、長引く不況で、自治体のリソースの配分先として、さらに図書館の優先度が下がったとか、いろいろ要因はあると思います。
しかし、それと同時に、約15年前の新館の建設と同時に整備された、ソフト及びハード両面からの相互貸借システムによる市町村間の相互協力(と、以前からある、いわゆる府県立図書の協力貸出)で、ある程度の(あくまでも、当時に比べてですが)資料要求の充足が達成されたコトもあるかもしれません。
それはそれで、当初の目的どおりの成果がを見せたという点で、非常に喜ばしいコトです。
ただ、当時からも同時に聞かれるのが、
「市町村同士の相互協力や府県立からの支援が行われすぎると、未設置市町村の当局サイドで、『本が足りてるなら、いいじゃないか』となり、いつまでたっても図書館関係の予算がつかず、当市町村が自立ができない(つまり、あまり支援をするべきではない)」
という意見。
う〜む……
確かに、そのメカニズム自体は、そのとおりだと思います。
ただ、図書館の本来の目的が、利用者の求める本(情報)を、可能な限り迅速に提供するコトだと考えると、どうでしょう?
もちろん、できないのならば仕方ないですが、その余地があるにもかかわらず(言うまでもなく、その背景には、他の市町村の多大な協力と使命感がありますが)、達成の可否がハッキリしないコトのために、結果として、現在の利用者の要求にある種の制限を加えるコトは、正しいコトなのでしょうか?
未設置市町村の利用者としては、手元に届く本に貼られているバーコードが、一体、どこの自治体のモノかまでは、あまり気にされていないと思います。
大切なのは、読みたい本(必要な情報)が、入手できるコト。
とすれば、それらの市町村に住む利用者の不便さを少しでも緩和するために、さらに支援を強化するという方向もあるのではないでしょうか?
……ただ、近くに図書館がない場合、すぐに読みたい本が読めない等、分かりやすい不便さはもちろん、図書館でないと提供できないサービスがあるのも事実です(たとえば、国会図書館関係)。
なので、現在の利用者には充分な資料提供の支援をしつつ、一方で、それとは別に、当該市町村に図書館建設を進めるように働きかけるというのが、理想的なのでしょう。
ただ、ここで難しいのが、前回にも書いたように、最も大切な当事者が特に求めていないモノを、ある種、こちらから押し付けても意味がないというコト。
そういった意味で、なによりも、図書館建設の原資を払う利用者の強い要望ありきなのですが、充分な図書館サービスがあった土地から移ってきた住民なら、
「ここの図書館サービスがは不十分だ。もっと充実させろ!」
と言うコトが可能でも(実際、そんなハナシがあるやにも聞きます)、ずっと未設置市町村に住んでいて、「図書館」というモノを体験したコトがなければ、そもそも欲しい施設のイメージもできず、求めるような声もあげられません。
どうしたらよいのでしょう……?
全く、ハナシの行き先にアテはありませんが(笑)、続きます。
2015年7月26日日曜日
2015年7月14日火曜日
私的「府県立図書館論」序説
行う必要のな仕事を見つけ、捨てなければならない。ドラッカーは、すべての仕事について、何もしなかったならば何が起こるかを考えればよいという。何も起こらないのならば、その仕事はただちにやめる。昨年、「見直すべき施設」に分類されたコトを受け、2015年6月19日(金)に、「府立図書館サービスの充実に向けた検討会議」が開催されました。
『ドラッカー時代を超える言葉』上田 惇生/著
それと並行して、今後の府立図書館のあり方について、館内でも議論が進んでいるのですが、個人的にも勉強しようと、今更ながら(本当に、今更ですが……)、いわゆる「都道府県立図書館(以下、府県立図書館)論」に関する論文をいくつか読んでいます。
それらは、ごく大雑把にいうと、域内の市町村立図書館等の支援に重きをおく見解(仮に、「間接サービス論」とします)と、それらの図書館では担いきれない、より高度(?)な資料提供をすべきだという見解(仮に、「直接サービス論」とします)の、大きく分けて二つの方向があるように思います。
まだ、市町村立図書館等が少なかった時代は、府県立図書館が域内に自らの分館を適切に配置し、それらを通じて域内全体にくまなく図書館サービスを提供するという、いわば、「間接直接サービス」(?)というハッキリした役割があったと思うのですが、まだまだ完全とは言えないまでも、それなりに市町村立の読書施設が整備されてきた現在、その役目もほぼ終焉を迎えているように思います。
そこで、今後の府県立図書館の役割についての議論になる訳ですが、上記に挙げたような論文は、いずれも、しっかりとしたデータに基づいて、それぞれの根拠が示されているのですが、個人的に思うのは、そもそも、「府県立図書館ありき」で、その役割や今後の方向性を考えていくのは、ちょっと違うんじゃないかなというコトです。
つまり、冒頭の引用にもあるように、もし、今、仮に府県立図書館がなくなったとして、もう一度、みなさんに作ろうと思ってもらえるだろうか?というトコロから議論を始めるべきではないかと思うのです。
かつて、京都府立植物園の名誉園長である松谷茂さんは、
「植物園は、葉っぱの1枚までも税金で賄われている」
という趣旨の発言をされていますが、それに併せていえば、図書館の全ての本の1ページも、すべて税金で賄われている訳です。
そうであれば、もし、「利用者」(納税者)が既にその施設を不要と思っているならば、その存続を前提に役割を考えるのは、言うまもなく本末転倒です。
なので、「0ベース思考」(← よく知らない)で考えるべきだと思いますし、加藤和英さんの「「県立図書館不要論」必要論」は、そのとおりだと思います。
まずは、市町村の図書館等の職員さんに、「府県立図書館があってよかったわ」「やっぱり、なくちゃ困るな」と思ってもらえる役割があるのか、そして、来館することのできない遠隔地の利用者にも、「私たちの図書館」と思ってもらえる機能があるのか。
今はまだ、「コレだ!」という理論を構築するには程遠い段階です。
ただ、なんとなく、現在のIT環境を駆使すれば、以前ならその前提であった時空間の制約を捨象し、「直接、来館できない利用者に対する直接サービス」を考えることも、十分可能のような気がするのですが……
(スグに思いつくモノでは、「電子書籍サービス」とか)
今後、この場を通じて、いろいろ考えていきたいと思っています。
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