全然詳しくない分野なので、例えが適切なのか全く自信がないのですが(謝)、ともかく、とある休日、あなたが、新しいクルマを買おうと、初めてのディーラ(て、言うんですか?)に行ったとします。
すると、いかにもヴェテラン然とした年輩のスタッフが対応してくれました。
「新しくクルマを買おうと思うんですけど、今だと、やっぱり電気自動車ですよね。どんなのがあるんでしょう?」
と聞くと(こんな聞き方をするモノなのかすら分かりませんが(笑))、その店員さんは、悪びれた風もなく、
「電気自動車ですか……私は、新しいモノは全く分からないんですよ。そういうのは、もっぱら、若いヤツらに任せてます。ははは……」
キョトン顔のあなたを尻目に、そのヒトは、さらにこう続けます。
「そもそもね、やっぱり、自動車ってのは、ガソリンを爆発させて、エンジンを回して動かすモノですよ。電気で動いて、全く音がしないなんて、自動車を運転した気になりません。やっぱり、クルマを運転する以上、昔ながらのモノが一番。私は、断然、ガソリン派。電気自動車なんて、イヤですけどね」
いささか大げさですし、そんなバカなと思いますが(笑)、ただ、このディーラを図書館のカウンタ、「電気自動車」を「電子書籍」に置き換えたら、どうでしょう?
まさかとは思いますが、同じような対応になってませんよね……?
「新しいモノは分からない、興味がない。だから(← この接続詞自体、おかしい)、若いヤツに任せる」
「本は紙で読むモノだ。電子で読むなんて邪道だ」
もちろん、個人的な趣味や信条についてまでとやかく言えませんし、紙の本が好きだというコト自体は、ボクにもそのキモチは充分分かります。
ただ、お客さん(利用者)の前に立つ人間として、最初から、その業界の最先端(もはや、そうでもないですが)にキャッチアップしていこうという意志自体がないのは、どうでしょう?
利用者から見たら、全員、「司書さん」です。
「本の専門家」です。
電子書籍についても、当然、自分(利用者)よりも知っているはずですと思わます。
結果として、(自分も含め)利用者より知識が少なかったというのは仕方ないですが(もちろん、できるだけ、避けたいですが)、しかし、初めから拒絶したり、そもそも、知る気がないというのは、どうなのでしょう……
……て、ここを読んでいないヒトに言いたいのですが(笑)。
2015年8月4日火曜日
2015年7月31日金曜日
「利用者の時間を節約せよ」
図書館員なら誰でも知っている(はず)のS.R.ランガナタンの「図書館学の5法則」("Five Laws of Library Science")ですが、その中の第4法則は、
現在では、「読者」の部分は、もう少し広く「利用者」とした方がよいかもしれませんが、それはともかく、図書館を利用するヒトを待たせることなく、可能な限りその時間を節約し、その方が求められる本や情報を素早く提供するコトが我々の使命であるコトは、改めて言うまでもありません。
ただ、いくらそう思っていても、図書館業務の中には、たとえば、レファレンスのように、処理までにどうしても一定の時間がかかってしまうモノがあるのも事実ですが、同時に、事前に準備しておけば、確実に利用者の時間を短縮できる事柄もあります。
もはや、業務上、PCを使わない図書館は考えられない以上、タイピングの習熟や、メインの図書館システムをはじめとした、各種のアプリケーションソフトの操作方法(仕組みではなく、あくまでも操作方法)に精通しておくことです。
たとえば、カウンタでの代行検索の際、ブラインドタッチができれば、利用者とコミュニケーションをとりながら進められますし、図書館カードの登録の際等、ソフトのショートカットが駆使できれば、確実に、終了までの時間を短縮するコトができます。
1回ずつは、とるに足らない非常にわずかな時間かもしれませんが、それが積もれば、決してバカにできない時間の節約になります。
そして、ありがたいコトに、PC関係の技術は、「経験」が必要なレファレンス技術に比べ、その気さえあれば、比較的短時間で、簡単に、確実に修得できます。
……とここまで書いて、改めて調べてみると、2014年6月にOCLC Researchが発表した「図書館学の5法則」の新解釈(“Reordering Ranganathan: Shifting User Behaviors, Shifting Priorities”)の中で、上記の第4原則は、最も根本的な第1原則に格上げされ、まさしく(?)、
いずれにしても、大切なのは、「さらに利用者の時間を節約できないか」と自らに問い続けるコトだと思います。
そうすれば、自ずと、もっと素敵なアイディアも浮かんでくるはずです。
E1611 - 時代は変わり順序も変わる:『図書館学の五法則』再解釈の試み | カレントアウェアネス・ポータル
「読者の時間を節約せよ。」となっています。
(Save the time of the reader.)
現在では、「読者」の部分は、もう少し広く「利用者」とした方がよいかもしれませんが、それはともかく、図書館を利用するヒトを待たせることなく、可能な限りその時間を節約し、その方が求められる本や情報を素早く提供するコトが我々の使命であるコトは、改めて言うまでもありません。
ただ、いくらそう思っていても、図書館業務の中には、たとえば、レファレンスのように、処理までにどうしても一定の時間がかかってしまうモノがあるのも事実ですが、同時に、事前に準備しておけば、確実に利用者の時間を短縮できる事柄もあります。
もはや、業務上、PCを使わない図書館は考えられない以上、タイピングの習熟や、メインの図書館システムをはじめとした、各種のアプリケーションソフトの操作方法(仕組みではなく、あくまでも操作方法)に精通しておくことです。
たとえば、カウンタでの代行検索の際、ブラインドタッチができれば、利用者とコミュニケーションをとりながら進められますし、図書館カードの登録の際等、ソフトのショートカットが駆使できれば、確実に、終了までの時間を短縮するコトができます。
1回ずつは、とるに足らない非常にわずかな時間かもしれませんが、それが積もれば、決してバカにできない時間の節約になります。
そして、ありがたいコトに、PC関係の技術は、「経験」が必要なレファレンス技術に比べ、その気さえあれば、比較的短時間で、簡単に、確実に修得できます。
……とここまで書いて、改めて調べてみると、2014年6月にOCLC Researchが発表した「図書館学の5法則」の新解釈(“Reordering Ranganathan: Shifting User Behaviors, Shifting Priorities”)の中で、上記の第4原則は、最も根本的な第1原則に格上げされ、まさしく(?)、
Embed library systems and services into users' existing workflows.と再定義されています。
(図書館システムとサービスを利用者の実際の情報行動に組み込め)
いずれにしても、大切なのは、「さらに利用者の時間を節約できないか」と自らに問い続けるコトだと思います。
そうすれば、自ずと、もっと素敵なアイディアも浮かんでくるはずです。
2015年7月28日火曜日
両手で提供する
少し前までは、圧倒的に「「暮らしの手帖」編集長」と紹介されていましたが(実際、お辞めになった)、今や、すっかり「おしゃれ/センス評論家」(?)となった松浦弥太郎さん。
その松浦さんの著作に、『100の基本』という本があります。
これは、文字通り、氏が個人的に守っている「100の基本(ルール)」と、同じく、氏が経営されている「COW BOOKS」という書店で共有されている100のルール(と、最後に、自分の100の基本を書き込むページ)で構成されているのですが、その中に、
これを読み、「あぁ、なるほど」と思ったので、それ以降、カウンタでの利用者との貸出カードや本のやりとりを両手でするようになったトコロ、なんか、グっと丁寧感が増したように思います(当社比)。
また、中には、こちらが両手でお渡しすると、両手で受け取ってくださる方もいます(圧倒的に、女性が多い)。
この本には、他にも、
まぁ、いずれも、ヒトによっては、「え?今さら?」と思われるかもしれませんが(だから、「基本」なのかも(笑))、個人的には非常に勉強になりました。
そして、大切なのは、言うまでもなく、「自分自身の基本」を持つコトですね。
その松浦さんの著作に、『100の基本』という本があります。
これは、文字通り、氏が個人的に守っている「100の基本(ルール)」と、同じく、氏が経営されている「COW BOOKS」という書店で共有されている100のルール(と、最後に、自分の100の基本を書き込むページ)で構成されているのですが、その中に、
買っていただいた商品はというモノがありました。
両手でお渡しする。
これを読み、「あぁ、なるほど」と思ったので、それ以降、カウンタでの利用者との貸出カードや本のやりとりを両手でするようになったトコロ、なんか、グっと丁寧感が増したように思います(当社比)。
また、中には、こちらが両手でお渡しすると、両手で受け取ってくださる方もいます(圧倒的に、女性が多い)。
この本には、他にも、
本を宝石のように大切に扱う。
置き方、さわり方、持ち方を
ていねいに。
一日に一度、
並んでいる本を必ずさわる。
本が傷むようなこと、といった、本屋さんならではの(それゆえ、我々にも大いに応用可能な)「基本」もありますが(中には、「書き込みのある本、べたべたした本、煙草の臭いのある本は決して売らない。」という、耳の痛い項目も……)、さらに、
本が傷むディスプレイはしない。
来店されたお客様に自分が
何を与えられるかをいつも考える。
もっとよくなるには
どうしたらよいかと
考える、工夫する、実行する。
自分ではなく、自分以外の人がといった、働き方(もしかして、生き方?)全般に関する「基本」も紹介されています。
どうしたら喜んでくれるかを
いつも考える。
まぁ、いずれも、ヒトによっては、「え?今さら?」と思われるかもしれませんが(だから、「基本」なのかも(笑))、個人的には非常に勉強になりました。
そして、大切なのは、言うまでもなく、「自分自身の基本」を持つコトですね。
2015年7月27日月曜日
MALUI連携、その前に
数年前から、図書館界周辺では、「MLA連携」というコトが言われています。
これは、類縁機関である、「M」(Museum:美術館)、「L」(Library:図書館)、「A」(Archives:文書館)の連携を図っていこうという考え方で、これに、「K」(Kominkan(← 適切な英訳がないらしい):公民館)を足して、「MLAK連携」と言われたり、さらに拡張して、「U」(University:大学)、「I」(Industry:産業・企業)を加えて、「MALUI(マルイ)連携」が言われるコトもあります。
少し前(6月初旬)になりますが、近畿のMALUI連携の一環として、「近畿地区MALUI」が主催する名刺交換会に今回初めて参加させていただき、本当に有意義な時間を過ごさせていただきました。
(幹事のみなさま(ほとんど、知人(笑))、本当にありがとうございました!)
で、こういった取り組みにはとても価値を感じますし、他の取り組み等ももちろんリスペクトしていますが、ただ、図書館の人間としては、このような、ある意味、他業種(?)との「横」のつながりも重要ですが、それと同時に、「本」でつながる「縦」(といっては不適切かもしれませんが)の連携や協力が必要なのではないかと、かねてから思っていました。
つまり、古書店、図書館、そして、書店。
その名も、「こ と しょ連携」!
……まぁ、ゴロはともかく(笑)、これらを、さらに、「本を売る・売らない(貸す)」「新刊本を扱う・古書を扱う」というマトリクスで分けて整理した場合、「新刊本/売らない」のエリアで何かないかなぁと考えたトコロ、今や、純粋な貸本屋さんは見かけませんが、集客に本を利用しているという点では、「ブックカフェ」がそれにあたるのではないかと思いつきました。
さらに、もっと根本的に、こういった、いわば、出来上がった本を利用者・顧客にサーヴするプレイヤだけでなく、本そのモノをクリエイトする主体、つまり、出版社さんも一緒に何かできれば……
「こ と しょ ぶ しゅ連携」(壊滅的)
……それはさておき、京都には全国的に有名な書店や古書店はもちろん、最近、素敵なブックカフェも増えていますし、ユニークな出版社さんもたくさんあります。
立場は違えど、「本」を愛するみなさんが集まれる場があれば、何かが生まれるんじゃないかと思ったり。
で、思い出しましたが、「書店」というのは、あくまでも本を売る店舗のコトだけど、「本屋」というのは、本を愛し、それを糧にして生きている個人の、ある意味、「生き様」のコトだという趣旨の文を読みました(いつものごとく、出典を失念してしまって、すいません)。
そういう意味では、奇妙なゴロ合わせなんか必要なく、単純に、
「HONYA連携」
でいいのかもしれません。
とにかく、いろんな意味で本をとりまく環境が、とかく厳しいと言われる昨今、限られたパイ(と勝手に思いこんでいるだけかも)を、お互いが血眼になって必死に奪い合うより、みんなで協力して、パイ自体を大きくしていければよいのではないかと愚考したりいたします。
……という訳で、電子書籍さんは、どうしましょう?(笑)
【参考】
青森県八戸市が直営施設「八戸ブックセンター」開設へ 民間の書店や市立図書館との関係は?
そんなに荒唐無稽なハナシでもないという、心強い先例。
これは、類縁機関である、「M」(Museum:美術館)、「L」(Library:図書館)、「A」(Archives:文書館)の連携を図っていこうという考え方で、これに、「K」(Kominkan(← 適切な英訳がないらしい):公民館)を足して、「MLAK連携」と言われたり、さらに拡張して、「U」(University:大学)、「I」(Industry:産業・企業)を加えて、「MALUI(マルイ)連携」が言われるコトもあります。
少し前(6月初旬)になりますが、近畿のMALUI連携の一環として、「近畿地区MALUI」が主催する名刺交換会に今回初めて参加させていただき、本当に有意義な時間を過ごさせていただきました。
(幹事のみなさま(ほとんど、知人(笑))、本当にありがとうございました!)
で、こういった取り組みにはとても価値を感じますし、他の取り組み等ももちろんリスペクトしていますが、ただ、図書館の人間としては、このような、ある意味、他業種(?)との「横」のつながりも重要ですが、それと同時に、「本」でつながる「縦」(といっては不適切かもしれませんが)の連携や協力が必要なのではないかと、かねてから思っていました。
つまり、古書店、図書館、そして、書店。
その名も、「こ と しょ連携」!
……まぁ、ゴロはともかく(笑)、これらを、さらに、「本を売る・売らない(貸す)」「新刊本を扱う・古書を扱う」というマトリクスで分けて整理した場合、「新刊本/売らない」のエリアで何かないかなぁと考えたトコロ、今や、純粋な貸本屋さんは見かけませんが、集客に本を利用しているという点では、「ブックカフェ」がそれにあたるのではないかと思いつきました。
さらに、もっと根本的に、こういった、いわば、出来上がった本を利用者・顧客にサーヴするプレイヤだけでなく、本そのモノをクリエイトする主体、つまり、出版社さんも一緒に何かできれば……
「こ と しょ ぶ しゅ連携」(壊滅的)
……それはさておき、京都には全国的に有名な書店や古書店はもちろん、最近、素敵なブックカフェも増えていますし、ユニークな出版社さんもたくさんあります。
立場は違えど、「本」を愛するみなさんが集まれる場があれば、何かが生まれるんじゃないかと思ったり。
で、思い出しましたが、「書店」というのは、あくまでも本を売る店舗のコトだけど、「本屋」というのは、本を愛し、それを糧にして生きている個人の、ある意味、「生き様」のコトだという趣旨の文を読みました(いつものごとく、出典を失念してしまって、すいません)。
そういう意味では、奇妙なゴロ合わせなんか必要なく、単純に、
「HONYA連携」
でいいのかもしれません。
とにかく、いろんな意味で本をとりまく環境が、とかく厳しいと言われる昨今、限られたパイ(と勝手に思いこんでいるだけかも)を、お互いが血眼になって必死に奪い合うより、みんなで協力して、パイ自体を大きくしていければよいのではないかと愚考したりいたします。
……という訳で、電子書籍さんは、どうしましょう?(笑)
【参考】
そんなに荒唐無稽なハナシでもないという、心強い先例。
2015年1月11日日曜日
「妖怪ウォッチ」に学ぶ
昨日は、子どもたちと、今、なにかと話題のマック(意識していないと、いまだにこちらで言ってしまう(笑))でもらったDVDで、「妖怪ウォッチ」の第1話を見ました。
で、ほうぼうで言われているコトですが、実際に見てみると、オトナの方が、というか、もっと限定的に、ちょうど自分たちの年齢層が見た方が面白いかもしれません。
ジャバニャン登場のくだりで、自分が何度も笑っているのを、ムスコが不思議そうに見ていました(笑)。
それはともかく、去年、大ヒットした「アナ雪」の例の曲でも思ったのですが、以前だったら、ドル箱のために間違いなく出し惜しみしたであろう、主題歌や第1話のようなキラー・コンテンツを、公式サイドが積極的に(無料で)出してしまう。
で、このコトが、大きなブームを巻き起こし、結局、大きな利益として返ってくる、という訳です。
今は、そうやって、どんどんオープンにしていった方がいい時代ですよね。
特に、公共ならば。
まぁ、ヒトが欲しがるモノを持っているコトが大前提ですが……
で、ほうぼうで言われているコトですが、実際に見てみると、オトナの方が、というか、もっと限定的に、ちょうど自分たちの年齢層が見た方が面白いかもしれません。
ジャバニャン登場のくだりで、自分が何度も笑っているのを、ムスコが不思議そうに見ていました(笑)。
それはともかく、去年、大ヒットした「アナ雪」の例の曲でも思ったのですが、以前だったら、ドル箱のために間違いなく出し惜しみしたであろう、主題歌や第1話のようなキラー・コンテンツを、公式サイドが積極的に(無料で)出してしまう。
で、このコトが、大きなブームを巻き起こし、結局、大きな利益として返ってくる、という訳です。
今は、そうやって、どんどんオープンにしていった方がいい時代ですよね。
特に、公共ならば。
まぁ、ヒトが欲しがるモノを持っているコトが大前提ですが……
2015年1月8日木曜日
司書能力の"コモディティ化"
カウンタでの、我々司書の大きな仕事の一つに、利用者が求めている本を探すコトがある。
幸い、それが決まったタイトルの場合なら、今のネット環境があれば、まぁ、だいたい見つかるコトが多い。
で、我々にとってはなんでもない日常的な作業なのに、利用者によっては、まるで魔法でも見たかのように感謝されるコトがあり、かえって申し訳なくなる時がある。
もしかしたら、これを「司書の専門性」と言うヒトもいるのかもしれないが(いないけど(笑))、コンピュータに触るのが一般的でなかった一昔前ならともかく、これだけネット検索が普通になった今なら、ほんのちょっとした知識があれば、誰でも同じようなコトはできるはずだ。
そして、こういった技術(というほどのモノでもないけど)は、個人的にはどんどんオープンにしていくべきだと思う。
しかし中には、そんなコトをしては、今はやりのコトバで言うと、司書能力の「コモディティ化」が起こったらどうするんだと心配するヒトもいるかもしれない。
まぁ、逆にいうと、その程度でコモディティ化するような専門性では情けないし、そこを守るためにノウハウをオープンにしなかったり、さらに周到にOPACを使いにくいままにしておく等(笑)、論外だろう。
さて、職人さんの世界では、まだまだ技術や知識をあまりオープンにせず、「見て盗め!」みたいな雰囲気があるんじゃないかとなんとなく思っていたが、「京都吉兆」の総料理長である徳岡邦夫さんの『京都吉兆しごとの作法』という本に、こんな記述がある。
さらに、
そして、自分を含め、耳が痛いヒトが多いのでは……
では、どうしたらよいのか?
徳岡さんは、こう続ける。
事実、徳岡さんは、ご自身のレシピを多くの著書でどんどん公開している。
自分が持っているノウハウをオープンにし、後輩が早く育てば、先輩はそれ以外のさらにクリエイティブな仕事に専念できる余地ができるだろう。
そしてそのコトは、そのお店自体や、ひいてはその業界全体がパワーアップしていく原動力となっていくはずである。
翻って、われわれ図書館も、たとえ隠していても、Web上の情報に関する検索技術は、早晩、コモディティ化するだろう。
それでも、本にしかない情報や、本とWebにまたがる情報、そして、そもそも探しものに関するカンやセンスといった、伝えたくてもウマく伝わらない部分の技術は残るはずである。
というか、残らないとマズい(笑)。
できれば、自分の中に、少しでもそういった部分があるといいのだが。
幸い、それが決まったタイトルの場合なら、今のネット環境があれば、まぁ、だいたい見つかるコトが多い。
で、我々にとってはなんでもない日常的な作業なのに、利用者によっては、まるで魔法でも見たかのように感謝されるコトがあり、かえって申し訳なくなる時がある。
もしかしたら、これを「司書の専門性」と言うヒトもいるのかもしれないが(いないけど(笑))、コンピュータに触るのが一般的でなかった一昔前ならともかく、これだけネット検索が普通になった今なら、ほんのちょっとした知識があれば、誰でも同じようなコトはできるはずだ。
そして、こういった技術(というほどのモノでもないけど)は、個人的にはどんどんオープンにしていくべきだと思う。
しかし中には、そんなコトをしては、今はやりのコトバで言うと、司書能力の「コモディティ化」が起こったらどうするんだと心配するヒトもいるかもしれない。
まぁ、逆にいうと、その程度でコモディティ化するような専門性では情けないし、そこを守るためにノウハウをオープンにしなかったり、さらに周到にOPACを使いにくいままにしておく等(笑)、論外だろう。
さて、職人さんの世界では、まだまだ技術や知識をあまりオープンにせず、「見て盗め!」みたいな雰囲気があるんじゃないかとなんとなく思っていたが、「京都吉兆」の総料理長である徳岡邦夫さんの『京都吉兆しごとの作法』という本に、こんな記述がある。
これまで職人の世界では、「見て盗め」という育成法がまかり通っていました。(略)しかし、「見て盗め」では、どうしても一人前になるまでに時間がかかります。として、今までの育成法のデメリットを指摘したあと、その理由を、
では、このような育成法が、どうしていまだに幅を利かせているのでしょうか。と、こちらが心配になるくらい、赤裸々にぶっちゃけ(笑)。
それは先輩職人が、自らの存在価値を保つためでしょう。
さらに、
逆に若くても、お客様を感動させる料理を作ることができれば評価は高まる。そのことを先輩職人はよく知っているので、自分が持つノウハウや情報をわざと出し惜しみして、少しでも若手の成長を遅らせようとするのです。みんなうすうす思ってたけど、そこは言わぬがフラワー……と思っていた件を、明確に言語化。
職人の世界では、いまたに「見て盗め」を美化する風潮があります。しかし、実際は職人が自己保身のために生み出した若手潰しに過ぎません。
そして、自分を含め、耳が痛いヒトが多いのでは……
では、どうしたらよいのか?
徳岡さんは、こう続ける。
しかし、もはや情報を出し惜しみする時代ではないと思います。う~む……
ITが発達して、ネットで検索をかければ誰でも知りたい情報を得られるいま、情報を持っていること自体にあまり価値はありません。
むしろいま評価されるのは、質の高い情報を自ら発信している人です。たとえば、料理のレシピも、どんどん発信すればいい。遅かれ早かれレシピは世に広まるのですから、自分から「考案者は私です」とレシピを公開したほうが、社会から必要とされる人間になれます。
事実、徳岡さんは、ご自身のレシピを多くの著書でどんどん公開している。
自分が持っているノウハウをオープンにし、後輩が早く育てば、先輩はそれ以外のさらにクリエイティブな仕事に専念できる余地ができるだろう。
そしてそのコトは、そのお店自体や、ひいてはその業界全体がパワーアップしていく原動力となっていくはずである。
翻って、われわれ図書館も、たとえ隠していても、Web上の情報に関する検索技術は、早晩、コモディティ化するだろう。
それでも、本にしかない情報や、本とWebにまたがる情報、そして、そもそも探しものに関するカンやセンスといった、伝えたくてもウマく伝わらない部分の技術は残るはずである。
というか、残らないとマズい(笑)。
できれば、自分の中に、少しでもそういった部分があるといいのだが。
2014年12月31日水曜日
「この世に生き残るものは、より強いものでもなく、より賢いものでもなく、変化に対応できるものだ」
真偽の程が怪しくても、いかにもそのヒトが言いそうなコトが、いつしか本当にそのヒトの発言として人々の記憶に残るコトがある。
たとえば、長嶋さんが、アメリカで、
「こっちの子どもは、英語がウマいねぇ〜」
と言ったとか、松本伊代さんが、自身初のエッセイ集について聞かれた際、
「私はまだ、読んでません」
と言ったとか、さらには、元イタリア代表のトッティが、
「僕だって、本ぐらい読むさ! たとえば、シェークスピア。 でも、シェークスピアって、誰が書いた作品だっけ?」
と言ったとか(まぁ、これはさすがに作り物臭いが)。
で、前置きが長くなりましたが(謝)、そんな中での、冒頭のコトバ。
一般的には、ダーウィンの『種の起原』からの引用と言われているが、実際には、『種の起原』にはこのようなフレーズはないらしい(司書でありながら、「らしい」というのが情けないが)。
ただ、たとえそうだとしても、実際の現象としては、このとおりなのだろう。 特に、"先が見えない"と言われる現在は、なおさらかもしれない。
(ただ、「先が見えない」のは、いつの時代だって同じだったと思う。例えば、過去の日本の貯蓄率の高さがひとつの証左)
で、図書館。
今後、図書館が生き残って行くためには、今後、ますます変化し続けるであろう時代の要請や利用者のニーズに対応し、こちらも、どんどん変化していかなければならないのは、容易に想像できる(ただ、そもそも、図書館が生き残るべきかどうかについては、また、別の機会に)。
しかし、人間には、「ホメオスタシス」がある以上、その集合体である組織も、放っておけば、自らはなかなか変化するコトはできず、できるだけ、これまでの状態を保とうとする。
特に、「前例踏襲」が強い業界なら、なおさらだ。
そんな場合、変化を促すために最も手っ取り早い方法が「外圧」を利用する、つまり、新しいタイプのプレーヤを仲間を加えるコトだ。
……と思う中で、最近、少しは収まったかもしれないが、武雄市図書館に対する、図書館界の反発は凄まじかった。
全国の名だたるライブラリアンから、あんな厳しい目でチェックされたら、どこの図書館だって何かしらの不備はあるだろうし、なにより、ウチの新館開館時なんて、もっと酷評されていたに違いない(苦笑)。
もちろん、指摘されていような様々な問題があるコトも事実なのかもしれないが、一方で、個人的には、ぜひ、一度は行ってみたいあこがれの書店である蔦屋書店のノウハウが図書館に投入されるなんて、なんてありがたいハナシだろうと思う。
あぁ、それなのに……
せっかく、これまでにないタイプのプレーヤが図書館界に来てくれたのに、歓迎するどころか、邪魔者扱いしては、非常にもったいないと思う。
せっかく、図書館を活気づけたろう!と思ってきたのに、ここまで文句ばかり言われたら気ぃ悪いわ!もぉ、ええわ!と、いつ、出て行かれるか気が気ではありません(まぁ、そんなヤワではないと思いますが)。
問題点は指摘すべきですが、もし、反発の背景に、保守性や閉鎖性があるのなら、超短期的には自分達のスタンダードが守れても、ほんの少し先には、今度は、自分達自身の首を締めるコトになると思うのですが……
たとえば、長嶋さんが、アメリカで、
「こっちの子どもは、英語がウマいねぇ〜」
と言ったとか、松本伊代さんが、自身初のエッセイ集について聞かれた際、
「私はまだ、読んでません」
と言ったとか、さらには、元イタリア代表のトッティが、
「僕だって、本ぐらい読むさ! たとえば、シェークスピア。 でも、シェークスピアって、誰が書いた作品だっけ?」
と言ったとか(まぁ、これはさすがに作り物臭いが)。
で、前置きが長くなりましたが(謝)、そんな中での、冒頭のコトバ。
一般的には、ダーウィンの『種の起原』からの引用と言われているが、実際には、『種の起原』にはこのようなフレーズはないらしい(司書でありながら、「らしい」というのが情けないが)。
ただ、たとえそうだとしても、実際の現象としては、このとおりなのだろう。 特に、"先が見えない"と言われる現在は、なおさらかもしれない。
(ただ、「先が見えない」のは、いつの時代だって同じだったと思う。例えば、過去の日本の貯蓄率の高さがひとつの証左)
で、図書館。
今後、図書館が生き残って行くためには、今後、ますます変化し続けるであろう時代の要請や利用者のニーズに対応し、こちらも、どんどん変化していかなければならないのは、容易に想像できる(ただ、そもそも、図書館が生き残るべきかどうかについては、また、別の機会に)。
しかし、人間には、「ホメオスタシス」がある以上、その集合体である組織も、放っておけば、自らはなかなか変化するコトはできず、できるだけ、これまでの状態を保とうとする。
特に、「前例踏襲」が強い業界なら、なおさらだ。
そんな場合、変化を促すために最も手っ取り早い方法が「外圧」を利用する、つまり、新しいタイプのプレーヤを仲間を加えるコトだ。
……と思う中で、最近、少しは収まったかもしれないが、武雄市図書館に対する、図書館界の反発は凄まじかった。
全国の名だたるライブラリアンから、あんな厳しい目でチェックされたら、どこの図書館だって何かしらの不備はあるだろうし、なにより、ウチの新館開館時なんて、もっと酷評されていたに違いない(苦笑)。
もちろん、指摘されていような様々な問題があるコトも事実なのかもしれないが、一方で、個人的には、ぜひ、一度は行ってみたいあこがれの書店である蔦屋書店のノウハウが図書館に投入されるなんて、なんてありがたいハナシだろうと思う。
あぁ、それなのに……
せっかく、これまでにないタイプのプレーヤが図書館界に来てくれたのに、歓迎するどころか、邪魔者扱いしては、非常にもったいないと思う。
せっかく、図書館を活気づけたろう!と思ってきたのに、ここまで文句ばかり言われたら気ぃ悪いわ!もぉ、ええわ!と、いつ、出て行かれるか気が気ではありません(まぁ、そんなヤワではないと思いますが)。
問題点は指摘すべきですが、もし、反発の背景に、保守性や閉鎖性があるのなら、超短期的には自分達のスタンダードが守れても、ほんの少し先には、今度は、自分達自身の首を締めるコトになると思うのですが……
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