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2017年4月23日日曜日

「司書の書誌」第47回 司書の攻防

既に旧聞に属するかもしれませんが、例の某大臣の学芸員に対する発言問題。

いみじくも、当の学芸員さん達がおっしゃっているとおり、今回の件に関する全ての文献(?)を見ている訳ではないので断定したモノいいはできませんが、それでも、ちょっと見ただけで、あまりにツッコみドコロの多すぎる大臣のご理解及びご発言に、かなりゲンナリしてしまいます……

で、この問題に対する意見の中には、

「すわっ、次は司書か?」

というような発言あったように思いますが、司書が、そこまで職業意識からくるウザさを為政者に対して与えられているのかなと、自戒を込めて思いました。

さて、気を取り直し、今回の問題の抽象度を少しあげてみると、既に他で指摘されているとは思いますが、そこは結局、資料の利用側と保存側のせめぎ合いという、古くて新しい課題に行き着くのかなと思います。

そしてこれは何も、外に目を向けるまでもなく、同じ館内でも、利用系のセクションと保存系のセクションで、まさに毎日のように、同じような攻防が続いているのではないかなと思います。

改めていうまでもなく、利用も保存もいずれも大切です。
というか、長い間の利用に耐えるために、キッチリ保存する必要がある訳です。

しかし、物理的なモノ、特に紙のような(ある意味では非常に強固ですが)弱いマテリアルの場合、利用によって劣化するコトはどうしても避けられず、勢い、保存のためには利用を制限しなくてはいけないという方向に向かいがちです。

そこで考えられる方法が、たとえば、保存用と利用用の資料を複数持つというソリューション。
ただこれは、言うまでもなく、保管場所と、整理のコストを含む予算上の制約がありますし、利用用が利用に耐えなくなった場合にどうするかという問題もあります(最近の本は、再入手不可のモノが多い)。

そこで、次に考えられるのが、そう、電子化ですね。

こちらは、電子化する際のコストはかかるモノの、その後は、利用による劣化や場所の問題は起こりませんし、さらに、同時に多くのヒトも利用できます。

ただ、今のトコロ、とにかく、使いにくい(笑)。

もちろん、個人的には本以外は認めないという立場ではありませんし、そもそも、本もそれほど完璧なでデヴァイスではないような気もしますが、ただ、やはり、いくら大きくても、パソコンの画面に向かって細かいもしくは繊細な文字を読んで作業するのはあまりに効率が悪いし、何より、カラダに悪い(苦笑)。

これが、タブレットになればいいかというと、ザンネンながら、今のトコロ、こちらも思った程ではありません。

今後、根本的に画期的な読書用端末が出てくれば別ですが、それまでは、意外と、一度電子化した資料を、本格的に利用する際には紙に再出力するという、NDL戦法が最も有効な方法なのかもしれません……

ともかく、そうやって考えてみると、今回の件は、そのあたりの課題を、改めて浮かび上がらせたのかなと思います。

……他の、あまり見たくないモノも浮かび上がってきましたが(苦笑)。

2016年10月20日木曜日

「司書の書誌」第46回 司書の料金

先日、利用者の方から(強目の)ご意見をいただきました。

当館は、府内の図書館等に自館の本を運び、その図書館を通じて利用者の方に本をお貸ししている訳ですが、その利用者が、ネットを通じてその本の取り寄せを申し込んでからその本が手元に届くまで、あまりに時間がかかり過ぎる、某巨大ネット書店で本を注文すれば翌日に届くこのネット社会で、一体、どういうコトだ、という訳です。

お聞きすると、まぁ、いろいろ不幸な偶然が重なり(得てして、この手のご意見をいただく時は、そういった場合が多いですが)、利用者の方のおっしゃるコトももっともでしたし、お気持ちもよく分かります。

ただ、あとで考えると、自分達のコトを棚に上げる訳ではないですが、やはり、民間のサーヴィスと公共サーヴィスを無条件に比べるのは、いささかフェアではないかなと思います。

まずは、そのサーヴィスを受ける際の対価、つまり、料金です。

「図書館の本は無料で読める」という言い方をしますが、もちろん、これは正確ではありません。
本屋さんやネットショップのように、その場での支払いはありませんが、「税金」という形で、(事前に)対価を払っています。

しかし、税金の中には、図書館以外にも、日々の生活にかかる様々な公共サーヴィスの費用(医療、教育、交通、安全……)が含まれており、正確には算出できませんが、こと図書館の、その本を利用するために使われている金額は、その内のごくわずかになります。

一方、ネットショップに頼めば、本の代金プラスある一定の購入額以下の場合は郵送費もかかります。
ただ、この場合は、図書館とは違って本を所有できますので、やはり、一概に図書館と比べる訳にもいきません。しかし、そうは言っても、図書館から本を取り寄せるよりは、多くの料金を払っているの間違いないでしょう。

「公共サーヴィスは安い料金しか払っていない。だから、サーヴィスの質が低くてもいい」という訳ではありませんし、もしかしたら、そういった意識が見え隠れするあたりが、昨今の民間委託への動きにつながっているのかもしれません。
ただ、公共サーヴィスの目的が、市場外の経済を担い、まずは、最低限でも、くまなくサーヴィスを提供するコトである以上、それに応じた対価を払い、(対価さえ払えれば)無制限に最高のサーヴィスを受けられる民間と同様に比較するのは、やはり、いささか無理があるのではないでしょうか。

「高い税金を払っているのに!」というお気持ちや、類似の民間サーヴィスと比較したくなる気持ちはよく分かりますが、そもそも、趣旨や目的が違うことをご理解いただけるとありがたいのですが……

2016年10月13日木曜日

「司書の書誌」第45回 司書の無制限

Amazonの定額読み放題サービス「Kindle Unlimited」が、提供出版社に断りなく、コンテンツの一部(出版社によっては全部)を削除していた(Unlimitedのラインナップからはずしていた)コトが分かり、(少なくとも、我々の界隈では)大きな話題となっています。

この件については、Amazonと提供出版社の双方に言い分があると思いますが、それはともかく、それだけ簡単に、かつ、大量のコンテンツに一気に変更があるのは、とりもなおさず、ユーザが一番混乱しますし、大きな迷惑を被ります(被りました(笑))。

考えてみれば、図書館の本も、基本的に定額(というか、無料)の読み放題サービスと言えます。

もちろん、Kindle Unlimitedと比べると、同じ本を同時に何人かで借りるコトはできませんし、(わざわざ)図書館まで行く必要があります。
一方、貸出上限はAmazonにもありますし(一時に10冊)、それこそ図書館では、ある本が急に読めなくなったり、ある特定の出版社の本が突然、一斉になくなったりというコトはありません。
(ただ、書庫スペースの関係等から除籍される本があったり、ごくまれに、不幸な事件が起こったりはしますが)

Kindle Unlimitedが登場した時には、これで図書館も必要なくなるのではという論調もありましたが、なかなか、そうは簡単にいきません。
それは、言うまでもないコトですが、「営利を目的とするかどうか」が、両者の最も大きい違いとしてあるからです。

もちろん、営利追求を否定するつもりは全くありません。
その目的のお陰で、ボクを含めた多くのヒトが、(いろんな意味で)喜ぶ、楽しめるコンテンツが提供されるからです。

ただ、前にも書いたように、売られている本には、純然たる”商品”としての面と、公共に資する”文化財”としての面が、分かちがたく混在しています。

公共図書館は、主に後者の面を考慮して制度設計をしていけばよいですが、Kindle Unlimitedをはじめとした電子書籍発行企業はもちろん、書店や出版社等、売られている本を生業をしている方達は、まずは、前者の面を安定して整えていかないといけませんし、もし、それが十分にできなければ、後者の面について、考える余地がなくなります。
そうすると、前者の面を構成する「企業としての判断」が、なによりも優先される場面があるかもしれません。

いずれにしても、エンドユーザから対価をもらってサービスを提供しているという点では、図書館も企業も全く同じ。

今回の件は、改めて、「何も最も重視するか」を考えるきっかけになるのではないでしょうか。

2016年10月8日土曜日

「司書の書誌」第44回 司書の目録

本来は、しばらく休んでいるこちらのブログで書く内容なのですが(笑)、「図書館目録」の世界では、「FRBR」(Functional Requirements for Bibliographic Records:書誌レコードの機能要件)という考え方があって、これからの目録規則は、基本的に、この考え方に則って改訂されていくと思われます。

……といっても、大抵の方は、何のコトだかサッパリだと思いますが(笑)、実は、意外と身近で関係しています。

例えば、今、みなさんが何らかの図書館目録で、『すべてがFになる』(以下、『F』)という本を検索し、2件の検索結果があったとします。

しかし、これは、2種類の全く異なった『F』という作品がある訳ではなく、同じ『F』という作品の、ノベルズ版(新書版)と文庫版がヒットしているコトが分かりました(この本には、いわゆるハードカバー版がないですが、本によっては、それも含め、3種類(以上)表示される場合もあります)。
つまり、この場合、内容としては同じ作品が、目録上は“違うモノとして”2件表示されるコトになります。

もちろん、文字が大きい方がいいとか、持ち運びやすい本がいいという理由で、本の判型が重要な要素になる場合はありますが、それでも、その作品がその図書館にあるかどうかが最優先事項だと思いますので、いきなり、同じ(ような)タイトルの本がいくつも並ぶよりも、まずは、自分が探している本があるかどうかが確実に分かり、そのあとで、(あるのなら)どの判型を選ぶという流れがよいのではないでしょうか。
そもそも、同じ作品が何らかの理由で2件以上別々にヒットすると、せっかく図書館により求めているモノがあるのに、それに気づかないという事態も発生してしまいます。

さらに、同じ作品でも、電子版大活字版がある場合もあるでしょうし、もっというと、『F』の場合なら、図書館に所蔵している例は少ないとは思いますが(笑)、漫画版アニメ版、さらには、ドラマ版もあるので、可能であれば、『F』で検索した時に、それらも一度に検索できれば、さらに便利ではないでしょうか。

そこで、FRBRという考え方が出てきます。

詳細は省きますが(というか、ボクがよく分かっていない)、FRBRという考え方では、まず、作品には、「著作(Work)という抽象的なレベルがあり(『すべてがFになる』という作品そのもの)、その次に、その作品がどのように表現されているかという「表現形」(expression。この作品の場合、先程出てきたアニメ版やドラマ版の他に、いくつかの外国語版もあり、全く違う形式で表現されているモノがあります。また、古典作品の場合なら、現代語訳版等がこれにあたります)というレベルがあり、さらに、その同じ表現形の中でも、それが、どんな形式(ノベルス版、文庫版や、電子版等)で発行されているかという「体現形(manifestation)というレベルがあり、その次に漸く、物理的なそれぞれの本の単位(「個別資料(item)。現在の図書館でいう「ローカル」とか「所蔵」という単位)で捉えようとします。

残念ながら、今の日本の図書館目録で、その考え方をキッチリ生かしているモノはまだないと思いますが、実は、不完全ながらも、一部、それを実現している目録が、図書館以外の、みなさんがよくご存知のトコロにあります。

そう、Amazonです。

少し前から、Amazonである本(例えば、『F』)を検索すると、「その他の形式およびエディションを表示する」というカタチで、その作品の文庫版やKindle版が同時に表示されます。

もちろん、Amazonの場合、「売らんかな」が目的なので、現在、購入が可能な媒体のみ(ただし、その中には中古も含まれる)なので、資料全体としての網羅性はありませんが、Amazonとしての目的は十分に果たしていますし、利用する側も、このカタチでの表示が便利だと思っている方は、多いと思います。

ただ、残念ながら(?)、現在買える本でも、出版社が違う場合は、一緒に表示されません(ちなみに、同じ文庫の出版社の違いは、FRBRの何形の違いか分かりますか?)。
この辺りこそ、図書館の真骨頂だと思うので、できればAmazonより先に実現したかった……(笑)

とにかく、この件は、進化論で言うトコロの「収斂の法則」というか、“みんなの便利”という同じゴールを追求すると、別の道からでも、結局、同じトコロに行き着くという、いい例なのかもしれません。
(もしくは、Amazonの中に、図書館情報学をおさめているヒトがいる可能性は、十分考えられますが)

2016年9月29日木曜日

「司書の書誌」第43回 司書の静寂

まだまだ話題のシン・ゴジラ
職場でも、複数回見に行った方が何人かいらっしゃいます(笑)。

さて、その中で、もうひとつ話題になったので、発生可能上映会
これは、通常、私語が禁止されている映画上映中に、いくらでも(?)を出していいというモノ。

スクリーンに(大声で)ツッコミを入れたり、鑑賞者で声を合わせたり。

予想どおり(?)、大変な盛り上がりだったようです。

で、このハナシを聞いて、スグに「発生可能図書館」というのを思いつきました。

先日、そのコトを職場で話すと、職場の企画担当から、

「あと1ヶ月早く、その発想が欲しかったわ」

と言われました(笑)。

映画と同様、原則として私語厳禁の図書館。
多くのヒトが勉強研究をするために集まっている場所なので、静寂を守るコトは、それぞれの集中のためにも、当然のコトと思われています。

もちろん、ボクもそうであるべきだと思うのですが、ただ、一方で、場合によっては、少しウルさいくらいのカフェの方が集中できたりしますし、事実、そう言っている方は少なくありません。
もしかしたら、「完全な静寂」が、集中にとって、最もいいわけでなないのかもしれません。

ただ、ポイントは、「適度にウルサい」という部分。
基本静寂で、たまに声が聞こえると、やはり、とても気になると思います。

いずれにしても、本来、集中が目的の静寂のはずなのに、いつのまにか、静寂自体が目的になり、ホンの少しの他人の会話が異常に気になったり、イラ立ちを感じてしまっては、かえって意味がないと思うのです。

大声でしゃべるのは論外ですが、もし、普通の声でしゃべっても構わなければ、どんな雰囲気の図書館になるのでしょうか?

ただ、少なくともウチの図書館の場合はお独りの利用が多いので、もし、発生可能でも、しゃべらない方の方が多く、やはり、たまの「発声」が、非常に目立ってしまうかもしれませんが……

同じく職場で、「発生可能図書館をやったらどうやろう」と言った時、ある方には、

『シン・圖書館』ですね」

と言われました。

スグにそういうリアクションが返ってくる職場にいるのも幸せですが(笑)、何が「シン」なのかは、最初から決めつけるのではなく、実際に試してみないと分からない部分もあるんじゃないかなと思います。

2016年9月22日木曜日

「司書の書誌」第42回 司書の無料

「図書館有料化」のススメ

公共図書館は、なぜ、無料(タダ)で本を貸すのでしょう?

答えは簡単。

この記事にもあるとおり、法律、つまり、「図書館法」第17条に、
(入館料等)

第17条 公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。
と定められているからです(いわゆる、図書館の「無料原則」)。

……ただ、これでは答えになりませんよね(笑)。
そもそも、なぜ、法律で図書館が無料と定められているのでしょう。

今なら、「そんなのあたり前だ」(記事のコトバを使うなら、「自明」)と言われそうですが、実は、全くそんなことはありません。
日本でも、戦前は、図書館は閲覧料(名称は違うかもしれませんが)を払って利用するのが普通でしたし、海外に目を向ければ、今でも図書館利用に料金を徴収する国は珍しくありません。

また、一般的に図書館と同様の文化施設と思われている博物館美術館は入場料を徴収しています。

実は、「博物館法」(美術館もここに含まれる)の第二十三条にも、図書館法と同様、
「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。」
という記述があるのです。
(ただ、その後、「但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」と続き、実質的には、必要な経費ということで、入館料等が徴収されています)

このような事情があるにもかかわらず、現在、図書館が無料なのは、ごく簡単に言うと、「民主的な社会を作る(維持する)ため」だと思うのですが、実際には、小説や(ポピュラな)雑誌の利用が多い実情を見て、


「どうして、読書という”趣味”だけ税金で賄われるんだ?」


と思っている(主に他の趣味をお持ちの)方もいらっしゃると思います。

たとえば、(ボクのブログに頻出する)作家の森博嗣さんも、

「図書館の何が問題かというと、それは一部の人の趣味のために、みんなの税金が使われているということだ。」
「市バスや地下鉄に乗る人だって「一部」の人であるけれど、それでも無料ではない。なのに、ずっと少ないほんの一部の人間の趣味のために、何故税金が消費されなければならないのか。」
と書かれています(『常識にとらわれない100の講義』)。

公共交通機関の件は記事の中にも出てきますし、その他にも、同様の考えを持つ方は割といるようで、現に、ボクの親戚にも、自分の子どもが町の図書館でさんざん本を借りているのにもかかわらず、

「オレは、図書館は許せん。オレの趣味のクルマには、税金が使われない」

と言っていました(笑)。

この点以外にも、記事にもあるように、図書館は、そもそも「商品」として作られたモノを、それがまだ市場に出回っているウチに無料で提供しています。
何度かここにも書いていますが、もし、みなさんが、自分が仕事で提供している「サービス」を、公共セクタが無料で提供していたら、どう思うでしょう?

記事の趣旨とは違いますが、いずれにしても、図書館の「無料原則」には、上記のような意見を持つヒト達を納得させられるだけの根拠や理由があるのでしょうか……?

2016年9月15日木曜日

「司書の書誌」第41回 司書の業務

気になる社会人にインタビュー!第72回:司書に聞いてみた10のコト! | マイナビニュース

一日の流れの部分を見ると、よくぞと思うくらい、実に平均的な図書館員のスケジュールだと思うのですが、利用者の方は、もう少し、カウンタの時間が多いと思っているのでしょうか?
(この方も、日によって違うと思いますが)

ただ、図書館の中には、(ボクのように(笑))司書として採用されていても、日常的に、全く本に触る機会がないという部署もあります。

……じゃぁ、何をしているのでしょう?(笑)

都道府県立とそれ以外の公共図書館ではまた違うと思いますが、システムの管理だったり、イベント(研修等も含む)の準備や、各種の調整事務に追われています。

「司書」というよりは、ごく一般的な事務職員

で、たまに用事があって閲覧室に行くと、

「あぁ、そうだ。自分は図書館に勤めてたんだ……」

と思い出すのです(笑)。

また、たまに本に触れても、ほとんど中を読んだり見るコトはあまりありません。
その一方で、ほとんど1日中、ディスプレィを見ている状態。

もちろん、閲覧系の部署はまた違いますが、いずれにしても、「図書館の仕事」といってイメージされるモノ以外にも、実に多様な業務があります。

そして、たとえ、どんなカタチで採用されたとしても、結局、自分で思う適正とは別の次元で、ピータの法則にのっとり、行き着くべきトコロに行くのでしょう……(笑)

2016年9月8日木曜日

「司書の書誌」第40回 司書の基準

寄贈された貴重書を公共図書館の職員が廃棄処分に→それをめぐっての議論百出 - Togetterまとめ

つい最近まで、長い間寄贈図書の受付の担当をしていたので、全くヒトゴトではなく、胃の縮まる思いがしました。

ただ、図書館側の事情としては、冒頭の新出さんの意見に、ほぼ、集約されていると思います。

図書館に勤めようというヒトは、ごくごく一般的な方達よりは本好きが多いでしょうし、そういう意味で、本の廃棄への抵抗感も平均以上には強いと思います。
また、同時に、「利用頻度の低い本は、価値のない本だ」とも、思っていないと思います。

ヒト・モノ・カネさえあれば、全ての本をキチンと整理して保存しておきたいのはやまやまなのですが、人員場所(保存スペース)、そして、それらを含めた予算の制約がある中で、何かを優先したら、何かを削らなくてはいけません。

利用者の方は、多くの場合、「自分 対 図書館」の軸でしか考えないと思いますが(それが当然です)、図書館側は、その、多くの「自分」間の要求や利便性のバランスを調整しなくてはなりません。
「自分」から見たら納得がいかない点も、もしかしたら、自分以外の方にとっては有益だというコトもあり得ます。

もちろん、寄贈者の方の気持ちも分かります。

蔵書を寄贈した場合ももちろんですが、自分が書いた(作った)本を寄贈し、それが結果的に廃棄される場合もあります。

ヒトそれぞれに価値観は違いますし、さらに、本を書こうという方は、自分の価値観が特にしっかりしている方だと思いますので、そういった、自分の価値観と違う判断や行動をされた場合には、なんというか、許しがたいと思われるのも当然だと思います。

図書館側にできるコトは、可能な限り明確な基準を示し、中での処理の過程をできるだけオープンにするコトかなと思います。
(ただ、明確な基準があっても、それに合致しているかどうかの判断は、機械的に、デジタルにできるモノでもないですのが……)

ともかく、本に何の思い入れもないヒトが、使われなかったり汚かったりする本を、てきとーにポイポイ捨てている訳ではないというコトは知っていただきたいです。

かつて、日本代表岡田監督が、なかなか結果がでないチームに対して、当時、いろいろ出ていた批判的な意見に対し、

「オレが日本で一番、日本代表のコトを考えている」

とおっしゃっていたコトが、今でも強く印象に残っています。

なんの仕事もそうだと思いますが、もし、自分の仕事に対して批判が出た時は、ハッキリとこう言えるようにしなくちゃなと思います。

2016年9月1日木曜日

「司書の書誌」第39回 司書の生存

ネットが普及したこの時代に図書館がこの先生きのこるには - 29Lib 分館

この記事の内容自体は、ネット時代の図書館戦略という本の書評なのですが、それとは別に、この、「インターネット(or デジタル化)の時代に、図書館が生き残っていくためには、どうしたらいいか?」という問いは、比較的、よく目にします。

しかし、この問いには、以前から、個人的には違和感をもっていました。

というのも、まず、「図書館の生き残り」前提になっているからです。

……まぁ、"図書館人"が発言する場合には、あたり前といえばあたり前なのかもしれませんが(笑)、"図書館を残すために"何かをしようというのは、やはり、「逆」ではないかなと思うのです。

もちろん、ボクは図書館に価値があると思っているから司書になった訳ですし、図書館にはずっと存在しいて欲しいと思っています。
しかし、それは、あくまでも個人の意見。

少なくとも、公共図書館の場合は税金で運営されている訳ですから、

「税金を使ってでも図書館を設置する理由必要がある」→「図書館を運営する」

という流れが当然であり、

「図書館を運営する」←「このための理由や必要をひねり出す」

というのは、やはり、おかしいですよね?

なので、本来は、図書館の内部から図書館の必要性を訴えたり、どうにかして工夫をしぼり出すのではなく、ユーザ(納税者)自らに、その必要性を強く主張してもらい、もっとこうなれば、我々に必要な機関として、これからも図書館を存続させよう、そのためには、(もっと)税金を使おう、となると思うのです。

もちろん、予算管理・運営の観点から、ユーザのニーズは無尽蔵には聞けませんし(理不尽な要求はなおさらです)、図書館の機能を全く知らないヒト達に広く周知するためにアピール・広報するコトは、非常に重要です。

ただ、それでも、やはり、「必要」が先なのは変わらないと思いますし、もし、納税者に「不必要」と判断された日には、潔く、のれんをおろす判断をしなければならないと思います。

言うまでもなく、手をこまねいてボーっとその日を待つのではなく、日々、改善を重ね、本当にユーザに必要な施設になっていこうとするコトは、とても重要です。
しかし、もし、「生き残る」という言説の中に、「雇用」「働き先の消失」といった「私」が少しでも入っていれば、それを聞くヒト達は、たちまち、そのニオイを嗅ぎ分けられると思います。

2016年8月25日木曜日

「司書の書誌」第38回 司書の寿命

米Yale大学研究チーム「本を読む人は、読まない人よりも寿命が2年ほど長い」「新聞・雑誌については、さほど差はない」-【hon.jp】

元記事の方で、既に「ムリがある」と指摘されているようですが(笑)、これが本当なら、司書の寿命は、平均より長いコトになります。

まぁ、さすがに、そういった統計はないと思いますが(笑)、ただ、「図書館界」にいると、いい意味で(?)年齢不詳な方が多いのも事実。
みなさん、実年齢よりお若く見える方が非常に多いですし、男性に関しては、頭髪的にも恵まれた方が多いような気がします。

……意外と、冒頭の記事はあたってる??

2016年8月18日木曜日

「司書の書誌」第37回 司書の宿題

夏休みです。

……と、前回と同じ書き出しですが(笑)、引き続き、図書館は絶賛開館中です。

で、この時期になると、どう見ても、ご自身の関心事じゃないっぽいレファレンスを持ち込まれる利用者が、突然、増えます。

そして、その後ろには、こちらも特に関心のなさそうな子どもさんが……

そう、夏休みの宿題をしにきた親子さんです。

もちろん、夏休みの宿題の図書館を使っていただくのは大歓迎ですが、いかんせん、質問をしてこられるのはおかあさん(もしくは、おとうさん)。

仕事ですので、聞かれたコトには答えますが、喉元まで、

「お子さんが自分で質問されたり、調べられたりした方がいいんじゃないんですか?」

と出かかります(苦笑)。

大事なお子さんの宿題を手伝い、恥をかかせたくないという気持ちは十分わかりますが、そのために、せっかくの学習の機会を自ら奪ってしまっては、意味がないと思うのですが……

……と、以前から思っていたモノの、実際、自分の子どもになったら、気持ちが変わる(分かる)のかとも思っていました。
そうなってから考えないと、フェアじゃないなと。

で、ついに、今年からその機会に恵まれました!(笑)

確かに、本当に子どもだけに任せていては、カタチにならないだろうなと思えるような高度(?)な宿題もチラホラ。
実際、ムスコの宿題も、ヨメが手伝ってくれていました(笑)。

ただ、その意味をムスコに伝え、ムスコ自身が実行するようにしむけてくれていたようです。
大変だったと思いますが……

まぁ、いずれにしても、大きなお世話ですし、それぞれの事情もおありでしょうから、淡々と職務を遂行するまでです。

という訳で、図書館は、みなさんのご来館をお待ちしております!(笑)

2016年8月11日木曜日

「司書の書誌」第36回 司書の趣味

夏休みです。

……と言っても、たいていの図書館自体にはお盆休みはないので、粛々と通常営業をしていますが(笑)、職員は、別途、夏季休暇をいただきます。

で、その間に旅行に行くヒトも多い訳ですが、司書の場合、大抵、旅先の図書館に訪れます(笑)。

というか、そもそも、そんな特別な休みではなく、通常の週休日でも、ごく普通に、図書館系の研究会イベントプライベートで参加するヒトが非常に多いです。
と言っても、特に勉強熱心という感じだったり、「仕事に活かすぞ!」という必死な色気はあまり感じられません。

単純に、「好きだから」(笑)。

まぁ、他の業界の方も一緒なのかもしれませんが、なんというか、趣味と仕事の境目があまりないんですよね。
職場で散々本を見たあと、帰り道に本屋に寄る。
別腹(笑)。

昔、テレビで、タバコのテイスタの方の番組を見たのですが、仕事として1日中タバコを吸った後、職後の一服が一番ウマいとおっしゃっていましたが(笑)、まさに、そんな感じでしょうか。

いずれにしても、仕事と趣味が一致しているなんて本当に幸せなコトですし、自分が他のお店等に行った場合でも、そういった感じのスタッフに接してもらった方が、なんかウレシくなりますよね。

仕事 = 趣味!

……の割に、結構ツラいコトもありますが……(笑)

2016年8月4日木曜日

「司書の書誌」第35回 司書の制限

日本でも、ついにKindle Unlimitedが開始されました。

これは、月額980円で、Kindle上のコンテンツ(12万冊以上の本、コミック、雑誌および120万冊以上の洋書)を読み放題というサービスです(1度にダウンロードできるのは10冊まで。また、30日間の無料体験もありますので、その間に読みまくるという方法もあります(笑))。

ポイントは、Kindle上の全ての本が読める訳ではなく、参加していない出版社のモノはもちろん、作品を提供している出版社の本でも、Unlimitedの対象と対象外の作品があるというコト。
ただ、それでも、「絶対これでないといけない!」といった類の読書でなければ、おそらく、十分過ぎる量だと思いますし、それが1ヶ月980円で提供されるというのは、やはり、画期的だと思います(初期投資(端末代)はかかりますが、文字ベースのコンテンツなら、スマホで十分利用可能です(雑誌やコミックの場合は、カラーのタブレットが欲しいトコロですが……))。

ザっと見てみて、個人的に注目したのは、雑誌です。

雑誌というのは、大半の書籍と違い、全ての記事が欲しいというよりは、ある特定の記事が目当てで購入するコトが多いと思います。
つまり、欲しい記事と同時に、いらない記事広告も多く買うコトになる訳です。

先日も、ある雑誌でかなり欲しい記事があったのですが、上記のような理由と、なにより場所をとるために購入を見送ったのですが(どうしても必要になった場合は、国会図書館の複写を依頼するつもりでした(笑))、Unlimitedのリストを見ていると、見事に、その雑誌もありました。
これで、Unlimitedの契約中は、いつでもその記事を見るコトが可能になった訳です(しかも、コピィのように、「あの記事はどこに行った!」というコトもありません(笑))。

同じように考える方は多いと思いますので、このサービスの登場によって、今後、さらに紙の雑誌は売れなくなると思うのですが、それでも、これだけ多くの雑誌が参加しているというコトは、それなりの勝算があるのでしょう(もしくは、ヤケクソ?)。

とにかく、多くの方が、比較的安価で(価格のみを他の読み放題サービスと比べると、高い方ですが)、これまで個人では所有できなかったオーダの「本」に簡単にアクセスできる手段を手に入れたコトになります。
では、これは、今後、図書館にどのような影響を与えるのでしょう。

各種の手間制限を考えると、Unlimited(を始めとした読み放題サービス)で提供されている本を、わざわざ図書館で利用するヒトは激減するでしょう(貸出返却のためにわざわざ図書館に行ったり、貸出期限を気にする代わりに980円払うヒトは、かなりいるような気がします)。今後、そのコンテンツの提供量が増えれば、なおさらです。

すると、そういった本を利用していた方達は図書館を利用しなくなりますので、当然、図書館でしか提供されていない資料のために図書館を利用するようになるはずです。
では、そういった資料を必要とする利用者は、全体のどのくらいの割合でしょうか?また、そういった資料は、どの程度あるでしょうか?

そう考えると、あまり図書館にとってはありがたくないサービスのようにも思えますが(笑)、個人的には、実は、ポジティブに捉えています。

図書館の目的は、あくまでも、必要なヒトに、必要な時に、必要なモノを届けるコトです。

より効率的な方法があれば、そちらを選択してもらうコトは、むしろ、その目的にかなっていますし、ある部分がスクラップされれば、新しいコトをビルドする余地も生まれます。

そして、今は図書館でしか提供されていない資料も、「手のひらの上の図書館」で全て見るコトができるようになった時、図書館も、全く新しいステージに入ると思います。
(もはや、「図書館」ではないかもしれませんが(笑))

2016年7月28日木曜日

「司書の書誌」第34回 司書の対象

これまで長い間、「紙」で発行・提供されて来た官公庁の白書・統計・報告書類ですが、近年、発行主体の所管官庁のホームページ上で、同時に電子ファイル(主に、PDF)も提供されることが通例となってきています。

一方、これまで多くの図書館では、物理的な実体のあるもの、つまり、冊子体、もしくは、CD-ROMにパッケージされている資料のみを収集・保存・提供の対象とし、インターネット上にあるファイルの方は、事実上、無視してきたように思います。

しかし、最近、(不況の影響もあってか)当初から、まったく紙媒体での資料を発行せず、電子ファイルのみをホームページで提供するという事例が出てきています。
いわゆる、「ボーン・デジタル(Born-digital)」資料です。

ボーン・デジタル資料は、インターネット環境さえあれば、いつでもどこでも、同時に何人もが利用でき、さらに、手元に原本を保存しておけるという、紙媒体にはない長所がいくつもあります。
一方で、図書館サイドから見ると、物理的な実体のある資料を前提に構築されてきたこれまでの業務システムに、根本的な再構築を促されています。

まず、収集はどうするのか。

資料(ファイル)のありか(URL、リンク情報)だけを集めておくのか、または、ファイル自体を図書館が所管するサーバに保存するのか。その場合、すべての提供元に許諾をとる必要があるのか。
仮に、ファイルを収集したとして、これまで冊子体を前提とした図書館システムで、どのように目録をとり、資料を管理していくのか。OPACでヒットした場合、直接、ファイルを開くような仕組みが必要か、それ以前に、それらのファイルを「所蔵資料」として扱ってよいのか。発行元でファイルの更新があった場合、どのような対応を採るか。
いろいろ、疑問点が出てきます。

一方、ファイル自体ではなく、プリント・アウトしたものを製本して管理するという方法も考えられますが、元々、紙媒体が存在していない資料に対し、図書館が「勝手に」そのような資料を作成し、利用者に提供してよいのかという疑問もあります。

そして、もし、そのようなことが可能だったとしても、今後、ボーン・デジタルが中心になった場合、全ての資料をプリント・アウトすることは不可能なので、どの範囲をプリント・アウトするのか、という選択も迫られると思います。

そう考えると、館内で(専用の)閲覧端末を用意するのが現実的と思われますが、冊子体と違い、その端末1台で、いくつもの資料を見ることができるという利点の反面、設置台数以上の閲覧希望があった場合は、まったくそれらの資料を利用することができない利用者も出てきてしまうという難点もあります。

官公庁の資料以外でも、著名な作家の個人全集が電子版でしか出版されないという事例が、実際、出てきています。
ボーン・デジタルに限らず電子資料は、かなり世の中にも浸透してきていますし、NDLでの収集も始まっています。

これらの資料を図書館で受入れるコトになった場合に、どのように目録をとり、管理し、提供していくのか。
冒頭に書いたような、特に公官庁の資料については、閲覧機器を持たなかったり、使えなかったりするヒト達にも、平等に提供する必要があります。
それぞれの図書館での対応を本格的に検討する時期にきているのではないでしょうか。

2016年7月21日木曜日

「司書の書誌」第33回 司書の自衛

先日、図書館の利用者が、ナイフで職員や他の利用者にケガを負わせ、逮捕されるという事件がありました。

報道によると、「住んでいる自治体が違うため、本の貸出ができない」という職員の説明に怒り出し、ナイフを取り出したとのコトです。

図書館には、他にもこの手の「決まり」は多くありますし、図書館サイドとしては、もちろん、それなりの理由がありますが、一方の利用者からすると、確かに、納得できないコトも多々あるとは思います。

また、決まり自体は(スグには)どうしようもないとして、それ以外でも、図書館側の説明の仕方や、対応がチグハグだったりという場合もあるとは思います。

ただ、だからといってこういった事件が起こると、やはり、非常に怖いです。
残念ながら、多くの方のイメージとは違い、図書館は安心・安全な場所とは、必ずしも言い切れなくなってきています。

そもそも、図書館は銀行等と違い、カウンタ内部への利用者の侵入を想定していないので、オープンになっているトコロが多いと思います。

さらに、ある程度の規模で、カウンタに複数の職員がいる図書館ばかりではなく、小さい町の図書室等では、女性の職員さんがひとりで対応されているトコロもあります。
また、対職員だけでなく、利用者同士のトラブルも考えられます。

そういった、制度・設備面で事前の対応が可能なコトはたくさんあると思います。

今回は、たまたま図書館で起こっただけという考え方もできますが、そういうコトが起こるかもしれないという前提で心構えや準備しておくコトは、とても大切です。

そして、さらに残念なコトですが、「図書館がテロの対象になったら?」という想定を真剣にしなくてはならなくなってきていると、個人的には思っています。

2016年7月14日木曜日

「司書の書誌」第32回 司書の物量

今年度から新しい部署になり、毎日、市町村の図書館等に本を持って行ったり、それぞれの図書館間の本のやりとりを中継したり、また、市町村支援用の蔵書を一括で大量に貸し出す担当になりました。

で、その部署になり、つくづく感じるのは、日々の本の運搬ももちろん、一括貸出の際は、何百冊、時には、千冊単位の本をクルマに乗せるので、まぁ、とにかく……本が重いのです(笑)。

さらに、こちらに借りに来られる市町村からの職員さん達は、基本的に女性が多いのですが、ボクが持ってもなかなか持ち上がらないようなダンボール詰めの本を持って帰り、今度は、自分の図書館でも同じだけの本を運ばなくてはならないので、本当に大変だと思います。

個人でも、本を持ちすぎて、家の床が抜けたとか、場合によっては、家が倒壊したなんてハナシも実しやかに囁かれたりしますが(汗)、そんなハナシが真に迫る程、本は実に重たい。
個人で本を読んでいる時には、程よい重さに感じられますが、これがいったん、ダンボール単位になると、途端に凶器になります(笑)。

音楽映像の場合、コンテンツ再生機分離が早くから行われていましたが(カセットCD等)、本の場合、いわばコンテンツごとに、そのコンテンツに応じた、そのコンテンツのためだけの再生機がついている状態なので、そりゃ、重たくもなります。
最近、漸く電子書籍が普及し始めましたが、本来、音楽や映像なんかに比べて格段にデータ量が少ない文字の方の分離がこれほどまでに遅れたのは、まぁ、それなりの理由があるのだとは思いますが……

先日、同じ課の方とお話していると、本が売れない理由のひとつとして、やはり、本は場所をとるからで、たとえば、本屋さんに読み終わった本を持って行き、それを(場合によっては安価な有償で)引き取ってもらえれば、その場で、新しい本も買いやすいのにとおっしゃっていました。

最近、断捨離ミニマリストの流れで、とにかく、モノを持ちたくない、家にモノを置きたくないという方が増えていると思います。

つまり、そんなマインドが、本の購入を躊躇させているのではないかというハナシ。
もちろん、新古書店等に持っていけばいいわけですが、そこからまた、新刊書店に行くのは面倒くさいというのもありますし、確かに、ひとつのアイディアかもしれません。

少し前までや、場合によってはの象徴ですらあったかもしれない物理的な本ですが、そこにこそ価値を見いだし、それゆえに本を愛する方が多いのも事実ではあるモノの、ここでも何度か取り上げている、図書館の書庫スーペスの問題等も含め、少し、これまでとは違う段階にきているのかなと思ったりします。

図書館の種類にもよるとは思いますが、「コンテンツさえ、ちゃんと読めればよい」という利用者の方が圧倒的に多いと思いますし、そうであるなら、それに応じたコンテンツの提供方法もあると思うのですが……

2016年7月7日木曜日

「司書の書誌」第31回 司書の整頓

図書館業務の中でも、特に地味なので気づかれにくいのに、それに反比例するかのように重要な作業として、本を、本来あるべき場所に戻す「返本作業」「配列点検」、また、「書架整理(整頓)等とも呼ばれる作業があります。

大抵、本の背表紙に貼られている「請求記号ラベル」の中にある、(図書館によっては)非常に細かい数字記号を確認しつつ、事前に決められた配列規則にのっとり、間違いのないように本を順番どおりに戻したり、並べ直していくのは、非常に根気集中力が必要な作業です。

しかし、これを怠り、本来とは少しでも違った場所に本があるだけで、とたんに本が見つけにくくなりますし、いわんや、全く別の書架に本が行ってしまうと、極端に言えば、館内にあっても、2度とその本が見つからなくなる可能性もあります(実際には、そのためにも、大抵、年に1回行われる「蔵書点検」の際に徹底的に探すのですが)。

特に、利用者が直接アクセスできる開架の書架は、利用が多いがゆえに、本来、あるべき場所に本がなくてはならないのに、同じく、利用の多さゆえ、(意図的でなくても)利用者が本来の場所ではないトコロに本を戻すことも多く、常にメンテナンスが必要というコトになります。

で、この「書架整理」ですが、作業自体は単純なモノの、正確にやろうと思うと、非常に労力がかかります。
こういう作業こそ、どうにか機械化できないかと考えるのが人間の常ですが(笑)、先日、こんな記事がありました。

図書館の書棚管理から司書を解放するロボット--夜間に自律走行して本棚をチェック - CNET Japan

確かに、便利なのかもしれませんが、記事を読む限り、さすがに、間違っていた時に、正しい位置にロボットが本を直してくれる訳ではなさそうです(笑)。

前から、どうにかして書架整理の労力を減らせるいいアイディアがないかと考えているのですが、おぼろげながら、正解は、もっとアナログで、ほっておいても、自然と直っていく手法のような気がしています。

どこかに書いたのですが、たとえば、ジャンプコミック『ドラゴンボール』って、つい、順番どおりに並べたくなりますよね?(笑)
あんなイメージ。

ただ、図書館の本は、後から列の間に新しい本が入ったり、貸出等でしょっちゅう抜けたりしますよね。

う〜む……(苦悩)

2016年6月30日木曜日

「司書の書誌」第30回 司書の連携

昨日、ある図書館の方達が、当館の連携事業について話を聞きたいと、わざわざ遠方からいらっしゃいました。

当館でも、以前から、近隣の美術館動物園等の文化施設や、大学高校等の教育機関等、各方面にお声をかけて、いくつか連携事業をしています。

図書館では、以前から「MLA(K)連携」や、「MALUI(マルイ)連携」等と言われてきましたが(コトバの意味については、こちらをご覧ください(笑))、それらの、比較的似た機能をもつ機関同士でお互い補完し合おうという意味合いだけでなく、最近ではもっと広く、異業種(?)間での連携が模索されています。

担当者間では、「(連携を)上からも言われてまして……」みたいな枕詞がよく使われるのですが(笑)、その是非はともかく、実際、そういったお話を持って行くと、先方でも「待ってました!」という反応が結構あるようです。

こういった事象は、図書館界だけでなく、一般の企業でも、最近、多く見られますよね(その場合、「連携」ではなく、「コラボ(レーション)と言われますが(笑))。

で、それはなぜかと考えた場合、やはり、「新しいモノを生み出すため」なのかなと思います。

昨日、当館にいらっしゃった方もおっしゃってましたが、やはり、自分の図書館の中だけで考えても、月並みなハナシしか出てこないし、外に行って話を聞くことで、新しい発想アイディアが生まれるのだと思います。

それが、図書館同士ですらそうなのですから、全く違う機関だったら、なおさらのコトだと思います。

という訳で、図書館も、もっといろんなトコロにハナシを持って行き、イベントというカタチ以外でも、なにかできればと思うのですが、そもそも、その連携先の発想自体が、冒頭で上げた文化施設や教育機関になりがちです。

もっと、別の業界に行けば、さらに強い刺激を受けられると思うのですが……

例えば、これだけ図書館の世界にコンピュータWebの分野が密接に関わってきているのに、どうも、IT関係とのコラボがまだまだ少ないような気がします。

当館でもこのようなコトを始めたトコロですが、他にもご近所には、日本を代表するITベンチャがあり、しかも、こんなモロなコトまでされているのですが……(笑)

2016年6月23日木曜日

「司書の書誌」第29回 司書の節度

具体的にリンクを貼るのは控えますが、図書館が、ベストセラ本の寄贈を呼びかけているコトが、ごく一部で(図書館の場合、いつもそうですが(笑))話題になっています。

掲載方法は図書館によって少しずつ違うと思いますが、だいたい、予約の多い本のランキング(数百人待ちとか)をホームページや館内に掲示したりして、その上位にある本の寄贈を、利用者に呼びかけるスタイルです。

ボクは、是非が議論されるような事柄は、大抵の場合、まぁ、ヒトそれぞれ事情や理由があるだろうと思う方なのですが、さすがに、コレについてはマズいんじゃないかなと思います。

確かに、何百人も予約が入っている本について寄贈の呼びかけをするコトは、こと、図書館と利用者の関係だけを見れば、どこの図書館も予算(資料購入費)が十分でないコトを考えると、非常に合理的な措置のようにも思えます。
しかし、それらの本が、すでに絶版等で、市場で入手できない本ならともかく、そうでないならば(それが、ベストセラです(笑))、やはり、積極的な呼びかけは、図書館自らの首を締めるような気がします。

ボクも、司書課程で、某要求論系有名教授の薫陶を受けたひとりなので、利用者の要求に最大限応えるべきだという思いは、割と根っこの方にしみついています。なので、このような方法を採る図書館側の事情やキモチは分かるつもりです。
しかし、実際の数値的なエビデンスはともかく、ただでさえ、図書館のせいで自らの権利や利益が侵害されていると思っている作家や出版界の方が存在する状況で、これをしてしまうと、それこそ、最後の信頼関係がなくなってしまうような気がするのです。

少し前に「図書館の複本購入」が話題になりましたが、ついに、購入すらしていないという……

利用者からすれば、本は読みたい時が読みたい時ですし(笑)、中には、強い口調で図書館のカウンタで詰め寄る方もいるかもしれません。

しかし、「情報」はなんの労力もかけずに勝手に生まれるモノではありません。
そして、それを生み出すコトで生活をしているヒトがいます。

利用者のみなさんも、ご自身のお仕事で提供しているモノやサービスを、公共セクタがタダで配ったり、さらに、もっと配るモノを増やすために、多くのヒトにタダでの提供を呼びかけていたら、どう思うでしょう……?

2016年6月16日木曜日

「司書の書誌」第28回 司書の選書

「図書館の本は、3回選書される」と言われたりします。

まずは、もちろん、図書館に本を受け入れる時の選書。

図書館は、新しく出版された本の中から受け入れる本を選んでいると思われているかもしれませんが、確かに、その部分は大きいモノの、利用者の希望やその他の理由によって、少し前に出た本や、場合によっては古書の中から本を選択するコトもあります。

日本では、1年間に約8万点の本が出版されると言われますが、それだけでなく、大げさに言えば、現在流通している全ての本が選書の対象になるので、その数は膨大になります(実際には、さらに寄贈もあります)。

一方で、どの図書館も、削減される傾向にある資料費という予算の制約があり、その兼ね合いの中で、自分の図書館にとって必要な本を選ぶのが、かなり大変な作業だというコトは、ご理解いただけると思います。
実際、この部分だけで何冊も専門書があるくらいですし、図書館が図書館としてあるための必須の作業となります。

次に、そうやって受け入れた本が少し古くなり、書庫に入れる時の選書です。

上記したように、資料費の削減は、どこの図書館もアタマの痛い問題ですが、それでも、毎年、一定量の本は増えていきますし、雑誌に関しては、そのスピードがさらに早い場合もあります。
反面、図書館の建物や什器の大きさは、建築時にほぼ決まっていますし、そのコトが、すなわち、本を所蔵できるスペースの制約となります。

その中で、いわゆる「開架」(通常、来館者が普通にアクセスできる書棚)といわれる部分は、新しい本が入れば入っただけどんどん空きスペースがなくなっていき、最終的には満杯になってしまいますので、そこからあふれた本を、どうにかしなければなりません。

その際、一般的には、閉架(書庫。利用者は入れないコトが多い)に移すというコトが行われますが、単純に、古い資料から順に書庫に押し出していけばよいという訳ではありません。
古くても利用が多く、人気のある本はいくらでもありますし、また、調べモノに必要な基本的な図書は、多少古くても、(一般的に)利用がしにくい閉架に移す訳にはいきません。

ここで、日頃の利用動向やこれからの利用を見越し、どの本を閉架に移し、どの本を開架に残しておくかという見極めは、司書の力量やセンスが試される、とても重要な場面だと思います。

最後に、さらに経年し、最後は廃棄する時の選書です。

開架と同様、書庫にも当然、物理的な限りがあります。
その部分を超える本の量になった場合は、非常に残念ではありますが、本をなんらかのカタチで処分(廃棄だけでなく、最近ではリサイクル本として、利用者に提供される場合もあります)しなければなりません。

その際も、完全に破損して使えなくなった本等は別ですが、やはり、今後の利用を考えたり、たとえ、スグの利用が見込めなくても、他にその本を持っている図書館がない場合等は、簡単に廃棄できないコトもあります。

処分の際の選書は、上記の2つの選書と違って可逆性がありませんので、利用だけでなく、資料の保存という面も含め、非常に慎重に対応しなければなりません。

というように、図書館にある本は、司書が、自身の知識や経験やセンスを総動員して、セレクトした本によってあふれていると言えます。

……とはいえ、個々の利用者から見れば、時に、首をかしげたくなるような本があるのも事実だと思いますが(笑)、その際の、「総合的に判断して」という司書の説明の中に、上記のような事情もあるコトを思い出していただければ、とても嬉しいです。