「芸能界のご意見番」ならぬ、「サッカー界のご意見番」(日本限定?)であるオシムの、アルゼンチンVSオランダの準決勝を評したひと言。
「さすがにオシム。おもしろいコトを言うなぁ」
と思う反面、もし、そんなコトを言うなら、W杯自体、毎回、2年も3年もかけて予選なんかしなくても、最初からブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ドイツ、イタリア、フランス、オランダの「神7」だけでやったらええやん、というハナシになってしまう(まぁ、少なくとも、他の多くの国からしたら、4カ国も出場して一勝もできない地域は、ホントにいらないだろうが)。
それにしても、サッカーのように、偶然や審判のサジ加減ひとつで大きく勝敗が変わる競技において、結局、毎回、「ユージュアル・サスペクツ」(いつものヤツら)が残るというのには、やはり、それなりの理由があるのだろう。
多分、彼らは、「自分にはできる」と思っているのだ。
以前、オリンピックで金メダルをとる選手というのは、他の選手と違って、自分が金メダルを取るコトを、全くこれっぽっちも疑っていないというハナシを聞いたコトがある。
「金メダルがとりたい」とか、「金メダルがとれなかったら、どうしよう……」とかいう発想はハナからなく、競技が始まる前から、
「えっと、自分は金メダルをとるんやけど、なにか?」
という感じらしい(しかも、マジ)。
そうやって聞くと、ちょっと痛い感じにも聞こえるが、しかし、結局は、そういうコトなのだと思う。
まだ、若干、実績が少ないため、上記の「神7」には含めなかったが、スペインなんか、前回大会までは、本当に毎回毎回……優勝候補に上げられながら、それこそ毎回毎回……「無敵艦隊、沈没」と書かれていた(どうも、その頃のスペインのイメージは、ラウールと重なってしまう)。
それほどのポテンシャルがありながら、どうしても上にいけなかったスペインだが、2008年のユーロで優勝したコトで、
「あぁ、オレ達も勝ってもいいんや」
と心から思えたことが、前回大会の優勝につながったのだと思う。
ことあるごとに「なるほどなぁ」と思うフレーズがある。
それは、
「あなた以外に、あなたにそれができないと言ったヒトはいない」
というモノ。
そうなのだ。
自分に”許可”を出していないのは、結局、自分だけなのだ。
2002年と前回大会でベスト16に残った日本だが、2回とも、見事に同じトコロで敗退してしまった。
よく、「そこで満足してしまった」という言われ方をしたが、多分、満足したというよりは、心のどこかで、
「オレみたいなモンが、ベスト8なんておこがましい」
と思っていたのではないだろうか(サポータも含めて)。
人間は、何らかの行動を起こすコトによって、今よりよい環境になるかもしれないコトが分かっていても、それでも、今より悪くなるかもしれないリスクを負うくらいなら、少なくとも、現状維持をしようとするらしい(ホメオスタシス(恒常性)とか言ったりする)。
ホメオスタシスは、もしかしたら、本能よりも奥深い生命維持の基本であるため、なかなか意識していてもそれを覆すコトは難しい。しかし、なんらかの理由で、それを破らない限り、新しい環境や次の段階には行けない。
そんな慣性、いや、惰性を、選手だけでなく、日本のサポータ全員が打ち破った時が、本当に日本代表が躍進する時なのだろう。
2014年7月13日日曜日
2014年7月8日火曜日
「人生は、絵と似ています」
「自分の人生を
一歩離れて見つめましょう。
人生は、絵と似ています。
-密着して一部を見ると
雑然としていても、
離れて全体を見れば
うまく調和しているのです。」
恒例の、我が家がお世話になっている保育所にて。
先日、職場の休憩時間に、ほんの少しだけ「上村松篁展」を見てきました。
近くで見ると、本当に、単なる筆のあとなのですが、それが、たった数歩後ろに下がるだけで、信じられないくらい美しく、力強い動物達の一部になります。
毎日、ウマくいかないコト、思いどおりにいかないコトばかりでヘコタレそうになりますが、これも、何かもっと大きなモノの一部なのでしょうか……?
2014年7月6日日曜日
「プレッシャーはある。でも、それが重荷にはなっていない」
劇的な勝利をおさめたり、偉業を成し遂げたアスリートに対するテレビ局のアナウンサ等がするお決まりの質問で、いつも「なんだかなぁ」と思うものが2つある。
それは、
「今の率直な気持ちをお聞かせ下さい」
と、
「プレッシャはありましたか?」
の2つである。
前者は、アナウンサが丸投げで振っておきながら、選手本人が「嬉しいです」という、それ以外ないだろうという至極もっともな答えをしようモノなら、
「チ、なんだよ、もう少し気の効いたコメントしろよ」
という雰囲気がありありだ(偏見?)。
そもそも、相手は、コメンテイタやお笑い芸人ではなく、スポーツ選手なのだ(しかも、たいてい試合直後の疲労と興奮のピーク状態にある)。
そのヒトたちが自ら発せなくても、結果としておもしろい回答にもって行けるようにするのが、インタビューの専門家であるアナウンサ達の仕事だと思うのだが、いかがだろうか(ただ、最近は、当意即妙のおもしろコメントができるアスリートが増えているが)。
一方、後者の質問に関しては、「ありました」という答えが分りきっているのに、それを聞いて、一体、どうしたいのだろう。
そんなにスゴイ人でも、自分達と同じようにプレッシャを感じるただのヒトなんだと確認したいのだろうか?
しかも、それが、たまに、「いえ、全くなかったです」みたいな答えが返ってくると、今度は、突然、
「おいっ、空気読めよ!」
という雰囲気がありありなのだ(偏見??)。
まぁ、そんな「プレッシャ」である。
プレッシャというと、なんとなく、それこそ文字どおりに、周囲の人間から精神に与えられる強いチカラのような気がする。
しかし、誰1人として、他人の心の中に入って、物理的な圧力をかけるコトはできないはずである。
つまり、プレッシャというのは、自分が"勝手に"感じているコトなのだ。
そして、その中身は、「失敗したらどうしよう」という不安や焦り、または、「周りのヒトを失望させたくない」という強い義務感だろう。
もし、ここで失敗したら、どんなコトを言われるだろう、そして、何を失うだろう……という恐怖。
結果や行動に先立つその手の極度の心配が、結局、プレッシャの正体ではないだろうか。
しかし、ここで耳寄りな情報がある。
人間は、一度にひとつのコトしか考えられないらしい(苫米地さんは、一度に10冊の本を読むらしいが)。
もし、そうであるならば、「失敗したらどうしよう?」の代わりに、「成功したらどうしよう!」と考えるコトができれば、プレッシャを感じるコトはなくなるはずである。
「成功したら、どんなポーズを決めよう」「成功したら、どんなコメントをしよう」……(なんとなく、長嶋さんをイメージしてしまうが)
もちろん、それが簡単にできれば苦労しない訳で、人間も動物である以上、生存の危機にいたる方、つまり、失敗への対応によりリソースを割こうとするのは、必然であり、本能であるはずだ。
にもかかわらず、ピンチの場面で「成功したら、どうしよう!」と考えられるのは、やはり、特別なヒトに与えられた、特別な能力なのだろうか(単に、能天気なだけかもしれないが)。
冒頭の言葉は、ブラジル代表のエース、ネイマールの発言。
サッカー王国と言われる国で64年ぶりに自国開催され、優勝以外許されないW杯において、エースナンバをつける22歳。
それだけでも普通に考えれば、プレッシャでガチガチになりそうなものだが、初戦からキッチリ結果を出し、さらに、8強への勝敗を決定するPKの5人目のキッカとして登場し、なにごともなく決めてしまう……
そのあたりのコトは、こちらの記事にも詳しいが、やはり、なぜ、そんなにプレッシャに強いのだろうと思わずにはいられない。
おそらく、彼も、「成功したらどうしよう?」と考えられるタイプなのだろう。
そういえば、心なしか、いつも笑っている印象がある。
ただ、そんな彼でも、国歌斉唱時や、勝った試合の後で号泣するトコロを見ると、内面では非常に強いプレッシャとストレスを感じているのだろう。
そんな精神的なチカラの重圧を跳ね返しながら、楽しそうにがんばっている姿にとても感銘を受けていたのだが、暴力という物理的なチカラでその道を閉ざされてしまったのは、本当に残念で仕方がない。
バレージや岬くんバリに、決勝で劇的な復活を遂げてくれないだろうか……
それは、
「今の率直な気持ちをお聞かせ下さい」
と、
「プレッシャはありましたか?」
の2つである。
前者は、アナウンサが丸投げで振っておきながら、選手本人が「嬉しいです」という、それ以外ないだろうという至極もっともな答えをしようモノなら、
「チ、なんだよ、もう少し気の効いたコメントしろよ」
という雰囲気がありありだ(偏見?)。
そもそも、相手は、コメンテイタやお笑い芸人ではなく、スポーツ選手なのだ(しかも、たいてい試合直後の疲労と興奮のピーク状態にある)。
そのヒトたちが自ら発せなくても、結果としておもしろい回答にもって行けるようにするのが、インタビューの専門家であるアナウンサ達の仕事だと思うのだが、いかがだろうか(ただ、最近は、当意即妙のおもしろコメントができるアスリートが増えているが)。
一方、後者の質問に関しては、「ありました」という答えが分りきっているのに、それを聞いて、一体、どうしたいのだろう。
そんなにスゴイ人でも、自分達と同じようにプレッシャを感じるただのヒトなんだと確認したいのだろうか?
しかも、それが、たまに、「いえ、全くなかったです」みたいな答えが返ってくると、今度は、突然、
「おいっ、空気読めよ!」
という雰囲気がありありなのだ(偏見??)。
まぁ、そんな「プレッシャ」である。
プレッシャというと、なんとなく、それこそ文字どおりに、周囲の人間から精神に与えられる強いチカラのような気がする。
しかし、誰1人として、他人の心の中に入って、物理的な圧力をかけるコトはできないはずである。
つまり、プレッシャというのは、自分が"勝手に"感じているコトなのだ。
そして、その中身は、「失敗したらどうしよう」という不安や焦り、または、「周りのヒトを失望させたくない」という強い義務感だろう。
もし、ここで失敗したら、どんなコトを言われるだろう、そして、何を失うだろう……という恐怖。
結果や行動に先立つその手の極度の心配が、結局、プレッシャの正体ではないだろうか。
しかし、ここで耳寄りな情報がある。
人間は、一度にひとつのコトしか考えられないらしい(苫米地さんは、一度に10冊の本を読むらしいが)。
もし、そうであるならば、「失敗したらどうしよう?」の代わりに、「成功したらどうしよう!」と考えるコトができれば、プレッシャを感じるコトはなくなるはずである。
「成功したら、どんなポーズを決めよう」「成功したら、どんなコメントをしよう」……(なんとなく、長嶋さんをイメージしてしまうが)
もちろん、それが簡単にできれば苦労しない訳で、人間も動物である以上、生存の危機にいたる方、つまり、失敗への対応によりリソースを割こうとするのは、必然であり、本能であるはずだ。
にもかかわらず、ピンチの場面で「成功したら、どうしよう!」と考えられるのは、やはり、特別なヒトに与えられた、特別な能力なのだろうか(単に、能天気なだけかもしれないが)。
冒頭の言葉は、ブラジル代表のエース、ネイマールの発言。
サッカー王国と言われる国で64年ぶりに自国開催され、優勝以外許されないW杯において、エースナンバをつける22歳。
それだけでも普通に考えれば、プレッシャでガチガチになりそうなものだが、初戦からキッチリ結果を出し、さらに、8強への勝敗を決定するPKの5人目のキッカとして登場し、なにごともなく決めてしまう……
そのあたりのコトは、こちらの記事にも詳しいが、やはり、なぜ、そんなにプレッシャに強いのだろうと思わずにはいられない。
おそらく、彼も、「成功したらどうしよう?」と考えられるタイプなのだろう。
そういえば、心なしか、いつも笑っている印象がある。
ただ、そんな彼でも、国歌斉唱時や、勝った試合の後で号泣するトコロを見ると、内面では非常に強いプレッシャとストレスを感じているのだろう。
そんな精神的なチカラの重圧を跳ね返しながら、楽しそうにがんばっている姿にとても感銘を受けていたのだが、暴力という物理的なチカラでその道を閉ざされてしまったのは、本当に残念で仕方がない。
バレージや岬くんバリに、決勝で劇的な復活を遂げてくれないだろうか……
2014年7月3日木曜日
「どこをピークにするかポイントなんですけど、まだ自分の中で答えは出せずにいます」
『メッシと滅私』(吉崎エイジーニョ/集英社新書/2014)という、ウマいんだかウマくないんだかもうひとつよく分からないタイトルの本を読んでいると(しかも、メッシについては、ほとんど書かれていない)、「過去の(W杯)優勝国は、すべてキリスト教文化圏の国」だというハナシが載っていた。
しかも、男子だけでなく、女子も含めて。
しかし、その中で、唯一の例外がある。
それが、2011年のなでしこだ。
日本のブラジルW杯が、あまりにもあっけなく終わった。
予選リーグの中盤くらいから、さかんに2006年との類似点が言われていたが、いくらなんでも、最終戦の対南米チームに対する大敗はないだろうと思っていたら、なんのコトはない、モノの見事にそこまで同じ結果になった(しかも、スコアまで一緒)。
今回の惨敗の原因は、一体、何なのだろう?
同じく一次リーグの惨敗後、「フィジカルが弱い」と、日本代表の弱点を分析し、いろんな意味で日本中をアっと言わせたジーコ元監督の意見はともかく、今回、長谷部は、列強との「サッカー文化の違い」のようなコトを言っていた。
確かに、それはあるかもしれない。
ただ、フィジカルにせよ文化にせよ、同じ日本なのだから、男子と女子でそこまで世界に対して違いがあるとは思えない。
なのに、なぜ、こうも結果が違うのだろう。
ところで、初戦のコートジボアール戦で「?」と思い、次のギリシャ戦で確信したのだが、今回の日本は、選手達の動きが重そうに見えて仕方なかった。
しかも、期待値が高いからか、本田、長友、香川あたりが特にヒドいように思えた。
ただ、コンディションに関しては、間違いなく最高の準備をしているはずなので、なおさら不思議だったのだが、ある時、ハタとその理由に気がついた。
その3人に共通するコト。
それは、常に、W杯での優勝を公言していたというコトである。
つまり、彼らはコンディションのピークを、初戦ではなく、7月14日の決勝戦に合わせていたのだ!!
……と、やり場のない脱力感を、自嘲気味の冗談で紛らわしていたのだが、どうやら、あながち、冗談でもないらしい。
冒頭の発言は、W杯前のアメリカ合宿で「決勝まで7試合あるが、いつ、ピークをもってくるか」という記者の質問への本田の答えなのだが……
……今でしょっ!
まぁ、結果が出てから見れば、聞く方も聞く方だと思うが、それはともかく、ビックマウスと言われ、周囲に叩かれるコトを覚悟で大きな目標を掲げ、周りを巻き込んで自分を成長させていこうとする本田の姿勢は、以前からとても感銘を受けていたし、リスペクトもしていた。
しかし、それがいつの間にか、自分が自分のコトバに感化されてしまい、まだ、何もしていないウチから、すでに達成されたかのような錯覚を起こしていたのではないだろうか。
今回、日本代表の試合を見ていて、もう一つスッキリしないのは、おそらく、試合に負けたり、これまでのサッカーが見られなかったコトではないと思う。
それは、選手達の姿から必死さが伝わってこなかったからではないだろうか。
もちろん、それはこちらのとらえた方だし、選手達は、必死にやっていたと言うだろう。
しかし、同じく惨敗だった2006年の第3戦の中で、ひとり奮闘しているように見える中田の姿には、素直に感動できたモノだ。
一体、日本はいつから勝者になったのだろう。
我々はまだ、完全なチャレンジャーのはずである。
前回の南アフリカでは、大会前のテストマッチでの散々な結果を受け、直前の選手達のミーティングで、「俺達は弱いんだ!」という闘莉王の発言から浮上のきっかけを得たと言われている。
日本人の精神の特徴として、既に書いた「正々堂々」と並んで、もうひとつ、「謙虚」があると思う。
それが行き過ぎて自信をなくしたり、変に自己卑下をしてはいけないが、日本では、どんなに成長しても、いや、スゴいヒトになればなる程、「いえ、自分なんかまだまだっス。日々、これ精進っス」といった感じなのが、模範とされる姿だったはずである。
世界から賞賛された、試合後のゴミ拾いに見る公共性や献身性に加え、常に謙虚な姿勢で、正々堂々と戦う。
そんな日本文化の特徴は、決して弱みではなく、キリスト教文化が席巻する世界のサッカー界に対抗できる可能性があるコトは、既に、なでしこが証明しているのだ。
しかも、男子だけでなく、女子も含めて。
しかし、その中で、唯一の例外がある。
それが、2011年のなでしこだ。
日本のブラジルW杯が、あまりにもあっけなく終わった。
予選リーグの中盤くらいから、さかんに2006年との類似点が言われていたが、いくらなんでも、最終戦の対南米チームに対する大敗はないだろうと思っていたら、なんのコトはない、モノの見事にそこまで同じ結果になった(しかも、スコアまで一緒)。
今回の惨敗の原因は、一体、何なのだろう?
同じく一次リーグの惨敗後、「フィジカルが弱い」と、日本代表の弱点を分析し、いろんな意味で日本中をアっと言わせたジーコ元監督の意見はともかく、今回、長谷部は、列強との「サッカー文化の違い」のようなコトを言っていた。
確かに、それはあるかもしれない。
ただ、フィジカルにせよ文化にせよ、同じ日本なのだから、男子と女子でそこまで世界に対して違いがあるとは思えない。
なのに、なぜ、こうも結果が違うのだろう。
ところで、初戦のコートジボアール戦で「?」と思い、次のギリシャ戦で確信したのだが、今回の日本は、選手達の動きが重そうに見えて仕方なかった。
しかも、期待値が高いからか、本田、長友、香川あたりが特にヒドいように思えた。
ただ、コンディションに関しては、間違いなく最高の準備をしているはずなので、なおさら不思議だったのだが、ある時、ハタとその理由に気がついた。
その3人に共通するコト。
それは、常に、W杯での優勝を公言していたというコトである。
つまり、彼らはコンディションのピークを、初戦ではなく、7月14日の決勝戦に合わせていたのだ!!
……と、やり場のない脱力感を、自嘲気味の冗談で紛らわしていたのだが、どうやら、あながち、冗談でもないらしい。
冒頭の発言は、W杯前のアメリカ合宿で「決勝まで7試合あるが、いつ、ピークをもってくるか」という記者の質問への本田の答えなのだが……
……今でしょっ!
まぁ、結果が出てから見れば、聞く方も聞く方だと思うが、それはともかく、ビックマウスと言われ、周囲に叩かれるコトを覚悟で大きな目標を掲げ、周りを巻き込んで自分を成長させていこうとする本田の姿勢は、以前からとても感銘を受けていたし、リスペクトもしていた。
しかし、それがいつの間にか、自分が自分のコトバに感化されてしまい、まだ、何もしていないウチから、すでに達成されたかのような錯覚を起こしていたのではないだろうか。
今回、日本代表の試合を見ていて、もう一つスッキリしないのは、おそらく、試合に負けたり、これまでのサッカーが見られなかったコトではないと思う。
それは、選手達の姿から必死さが伝わってこなかったからではないだろうか。
もちろん、それはこちらのとらえた方だし、選手達は、必死にやっていたと言うだろう。
しかし、同じく惨敗だった2006年の第3戦の中で、ひとり奮闘しているように見える中田の姿には、素直に感動できたモノだ。
一体、日本はいつから勝者になったのだろう。
我々はまだ、完全なチャレンジャーのはずである。
前回の南アフリカでは、大会前のテストマッチでの散々な結果を受け、直前の選手達のミーティングで、「俺達は弱いんだ!」という闘莉王の発言から浮上のきっかけを得たと言われている。
日本人の精神の特徴として、既に書いた「正々堂々」と並んで、もうひとつ、「謙虚」があると思う。
それが行き過ぎて自信をなくしたり、変に自己卑下をしてはいけないが、日本では、どんなに成長しても、いや、スゴいヒトになればなる程、「いえ、自分なんかまだまだっス。日々、これ精進っス」といった感じなのが、模範とされる姿だったはずである。
世界から賞賛された、試合後のゴミ拾いに見る公共性や献身性に加え、常に謙虚な姿勢で、正々堂々と戦う。
そんな日本文化の特徴は、決して弱みではなく、キリスト教文化が席巻する世界のサッカー界に対抗できる可能性があるコトは、既に、なでしこが証明しているのだ。
「やさしさは、想像力でひろがる 」
「やさしさは、想像力でひろがる (全国キャンペーン)」
残念ながらクレジットはされていないのですが、おそらく(というか、間違いなく)、義弟のアニメーション作品(今回、大きく制作手法が変わっていなければ、全て、手書きのはず)。
その作画能力はもちろんスゴいですが、なにより、この作品の流れ自体が、「想像力」のなによりの見本になっているような。
残念ながらクレジットはされていないのですが、おそらく(というか、間違いなく)、義弟のアニメーション作品(今回、大きく制作手法が変わっていなければ、全て、手書きのはず)。
その作画能力はもちろんスゴいですが、なにより、この作品の流れ自体が、「想像力」のなによりの見本になっているような。
2014年7月2日水曜日
「日本代表を日本化させる」
今回と同様、W杯で悲惨な結果を招いたジーコ監督のあとを受け、2006年に日本代表の監督になった、イビチャ・オシムの就任会見での有名なひとこと。
まぁ、もし、これを言ったのがオシムでなかったら、
「はいはい、おじいちゃん、ごはんはもうちょっと待ってね」
と言われそうなトコロだが、監督が交代するたびに、その監督の得意とするスタイルに大きく変わり、全く継続性や積み上げがない、ブレまくる日本代表を見かねての発言だったのだろう。
バランス度外視で、惜しげもなくスター選手を並べたジーコに対し、就任直後、どちらかというと、それまであまり注目されていなかった選手を多数招集したオシムを見て、「日本化って、地味化なの?」と思ったモノだが、結局その後、オシム流日本化の完成を見るコトなく、道半ばで岡田監督にバトンタッチし、同監督の超現実路線によるW杯16強のあと、ザッケローニ監督が、今度こそ、日本人の特徴を生かしたサッカーを構築するべく、これまでの4年間の指揮をとった訳である。
おそらくそれは、日本人選手の特徴である俊敏な動きと技術、そして、勤勉さを最大限に活かし、パスで相手を翻弄し、スピードで圧倒するようなスタイルだったと思う。
しかし、今回、あのような結果になると、そのスタイルのツメが甘かったのが、そもそも、その方向自体が間違っていたのかが分からなくなってしまった。
選手達も「自分達のサッカーができれば(勝てた)」とくり返すコトも、そのコトに一層拍車をかけているだろう。
ところで、そもそも、その国のスタイルとか自分達のサッカーとは、ヒトに(しかも、外国人の監督に)指摘されたり、ましてや、考えた末に模索したり構築したりするモノでははずで、どんなに直そうとしても、隠しきれずに、常に"そこ"に存在しているモノだと思うのだが、いかがだろうか?
そして、それは、俊敏性とか器用さとかいった身体的な特徴はもちろんだが、それ以前に、もっと、その国の国民性とか文化とか、そういった精神的な部分の方がよっぽど大きく関与すると思うのだ。
Jリーグが始まった頃、主に南米からきた選手達を中心に、「日本人にはマリーシアが足りない」というコトが盛んに言われた。
マリーシアとは、「ずる賢さ」と訳されたりするが、例えば、大げさに痛がって時間稼ぎをしたり、審判の目を欺いて、ファウルをもらおうといったような行為だろう。
しかし、勝負や試合の場において、そんな文化がない、というか、そもそも、「卑怯」という概念で、そういった行為を最も嫌う日本人にとって、いくらサッカー強国のマネをしても、付け焼き刃感がハンパなく、未だに板についていないコト、この上ないのである。
それでも、さすがにこれはいいんじゃない?と思われる、1点リードで残り時間数分の際の味方同士でのパス交換ですら、どうも腰が据わっていない。
おそらく、ここで露骨な時間稼ぎをするのは、それこそ世界の常識なのだろうが、なんとなく、そんなセコい時間稼ぎをするくらいなら、最後まで精一杯攻めて、それでボールをとられてカウンタを受けたのなら、それはそれでしょうがないというのが、大半の日本人のメンタリティのような気がする。
そう、日本人の根幹は、「正々堂々・真っ向勝負」なのだ。
そして、もし、本当にそうであるならば、どんなにサッカーがウマい他の国の選手にバカにされようと、決して自分達のアイデンティティを恥ずかしがるコトではないはずである。
むしろ、それを躊躇しながら変に他国のマネをしようとするから、サブいコトになるのだ。
また、たとえW杯で惨敗しても、空港で暖かく出迎えるサポータが多いことを見て、もっと選手達を厳しく批判しないと、代表が強くならないと苦々しく言うヒトもいる。
自分自身、ある程度はそうだと思うが、しかし、そもそも、日本人には、どんなにヒドい結果でも、ヒトを足蹴ざまに罵倒したり、生卵やトマトを投げつけるような文化はないのだ(某都議の事務所にはあったけど)。
それなら、いっそ、ホントは、こんなコトじゃ強くならないんだけどなぁ……なんて遠慮しながらするのではなく、もっと堂々とすればいいのだ。
(と思っていたら、こんな記事を見て、さすがにこれはちょっとと思ったが)
これらの例は、世界から見ると非常に甘く、つけいる隙だらけに見えるだろう。
また、成績が悪いのに、いつもフェアプレー賞ばかりもらってもしょうがないという意見もあるだろう。
しかし、たとえどんなに青臭くても、遠慮がちに迷いながら他国のマネをするくらいなら、そういった自分自身を受け入れ、それこそ、堂々と自分達のやりたいようにやった方がいい。
そっちの方が、よっぽどストレスも少ないだろうし、本来のチカラが出せるだろう。
という訳で、正々堂々の、なんなら一騎打ちで雌雄を決すべし!という日本人の精神性を最大限に生かし、それを突き詰めたスタイルを構築した場合、果たして、どんなサッカーになるのだろう。
……パワープレイ?
まぁ、もし、これを言ったのがオシムでなかったら、
「はいはい、おじいちゃん、ごはんはもうちょっと待ってね」
と言われそうなトコロだが、監督が交代するたびに、その監督の得意とするスタイルに大きく変わり、全く継続性や積み上げがない、ブレまくる日本代表を見かねての発言だったのだろう。
バランス度外視で、惜しげもなくスター選手を並べたジーコに対し、就任直後、どちらかというと、それまであまり注目されていなかった選手を多数招集したオシムを見て、「日本化って、地味化なの?」と思ったモノだが、結局その後、オシム流日本化の完成を見るコトなく、道半ばで岡田監督にバトンタッチし、同監督の超現実路線によるW杯16強のあと、ザッケローニ監督が、今度こそ、日本人の特徴を生かしたサッカーを構築するべく、これまでの4年間の指揮をとった訳である。
おそらくそれは、日本人選手の特徴である俊敏な動きと技術、そして、勤勉さを最大限に活かし、パスで相手を翻弄し、スピードで圧倒するようなスタイルだったと思う。
しかし、今回、あのような結果になると、そのスタイルのツメが甘かったのが、そもそも、その方向自体が間違っていたのかが分からなくなってしまった。
選手達も「自分達のサッカーができれば(勝てた)」とくり返すコトも、そのコトに一層拍車をかけているだろう。
ところで、そもそも、その国のスタイルとか自分達のサッカーとは、ヒトに(しかも、外国人の監督に)指摘されたり、ましてや、考えた末に模索したり構築したりするモノでははずで、どんなに直そうとしても、隠しきれずに、常に"そこ"に存在しているモノだと思うのだが、いかがだろうか?
そして、それは、俊敏性とか器用さとかいった身体的な特徴はもちろんだが、それ以前に、もっと、その国の国民性とか文化とか、そういった精神的な部分の方がよっぽど大きく関与すると思うのだ。
Jリーグが始まった頃、主に南米からきた選手達を中心に、「日本人にはマリーシアが足りない」というコトが盛んに言われた。
マリーシアとは、「ずる賢さ」と訳されたりするが、例えば、大げさに痛がって時間稼ぎをしたり、審判の目を欺いて、ファウルをもらおうといったような行為だろう。
しかし、勝負や試合の場において、そんな文化がない、というか、そもそも、「卑怯」という概念で、そういった行為を最も嫌う日本人にとって、いくらサッカー強国のマネをしても、付け焼き刃感がハンパなく、未だに板についていないコト、この上ないのである。
それでも、さすがにこれはいいんじゃない?と思われる、1点リードで残り時間数分の際の味方同士でのパス交換ですら、どうも腰が据わっていない。
おそらく、ここで露骨な時間稼ぎをするのは、それこそ世界の常識なのだろうが、なんとなく、そんなセコい時間稼ぎをするくらいなら、最後まで精一杯攻めて、それでボールをとられてカウンタを受けたのなら、それはそれでしょうがないというのが、大半の日本人のメンタリティのような気がする。
そう、日本人の根幹は、「正々堂々・真っ向勝負」なのだ。
そして、もし、本当にそうであるならば、どんなにサッカーがウマい他の国の選手にバカにされようと、決して自分達のアイデンティティを恥ずかしがるコトではないはずである。
むしろ、それを躊躇しながら変に他国のマネをしようとするから、サブいコトになるのだ。
また、たとえW杯で惨敗しても、空港で暖かく出迎えるサポータが多いことを見て、もっと選手達を厳しく批判しないと、代表が強くならないと苦々しく言うヒトもいる。
自分自身、ある程度はそうだと思うが、しかし、そもそも、日本人には、どんなにヒドい結果でも、ヒトを足蹴ざまに罵倒したり、生卵やトマトを投げつけるような文化はないのだ(某都議の事務所にはあったけど)。
それなら、いっそ、ホントは、こんなコトじゃ強くならないんだけどなぁ……なんて遠慮しながらするのではなく、もっと堂々とすればいいのだ。
(と思っていたら、こんな記事を見て、さすがにこれはちょっとと思ったが)
これらの例は、世界から見ると非常に甘く、つけいる隙だらけに見えるだろう。
また、成績が悪いのに、いつもフェアプレー賞ばかりもらってもしょうがないという意見もあるだろう。
しかし、たとえどんなに青臭くても、遠慮がちに迷いながら他国のマネをするくらいなら、そういった自分自身を受け入れ、それこそ、堂々と自分達のやりたいようにやった方がいい。
そっちの方が、よっぽどストレスも少ないだろうし、本来のチカラが出せるだろう。
という訳で、正々堂々の、なんなら一騎打ちで雌雄を決すべし!という日本人の精神性を最大限に生かし、それを突き詰めたスタイルを構築した場合、果たして、どんなサッカーになるのだろう。
……パワープレイ?
2014年7月1日火曜日
「とぉちゃん、おたんじょうび、おめでとぅ」
今朝、目を覚まして寝室からリビングに降りてみると、壁にこんモノが。

先月のムスコの誕生日にも見たような気がしますが(笑)、その心遣いとユーモアに、本当に嬉しくなりました。
という訳で、今日は誕生日。
その後、起きてきた2歳のムスメは、耳元で完璧に「Happy Birthday」を歌ってくれたあと、さらにちっちゃい声で(笑)、冒頭のひとことを言ってくれました。
そして、仕事から帰ってくると、ムスコからのプレゼントが。

彼曰く、「矢印」と「鉄砲」と「天の川」とか。
一体、誕生日と、どんな関係が……
その他にも、朝から実家や(本当に)古い友人からもメールをもらい、さらに、職場でも非常に意外な人からお祝いを言ってもらいました。
毎年のコトながら、本当に、ありがたいことです。
ありがとう。
先月のムスコの誕生日にも見たような気がしますが(笑)、その心遣いとユーモアに、本当に嬉しくなりました。
という訳で、今日は誕生日。
その後、起きてきた2歳のムスメは、耳元で完璧に「Happy Birthday」を歌ってくれたあと、さらにちっちゃい声で(笑)、冒頭のひとことを言ってくれました。
そして、仕事から帰ってくると、ムスコからのプレゼントが。
彼曰く、「矢印」と「鉄砲」と「天の川」とか。
一体、誕生日と、どんな関係が……
その他にも、朝から実家や(本当に)古い友人からもメールをもらい、さらに、職場でも非常に意外な人からお祝いを言ってもらいました。
毎年のコトながら、本当に、ありがたいことです。
ありがとう。
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