2016年9月1日木曜日

「司書の書誌」第39回 司書の生存

ネットが普及したこの時代に図書館がこの先生きのこるには - 29Lib 分館

この記事の内容自体は、ネット時代の図書館戦略という本の書評なのですが、それとは別に、この、「インターネット(or デジタル化)の時代に、図書館が生き残っていくためには、どうしたらいいか?」という問いは、比較的、よく目にします。

しかし、この問いには、以前から、個人的には違和感をもっていました。

というのも、まず、「図書館の生き残り」前提になっているからです。

……まぁ、"図書館人"が発言する場合には、あたり前といえばあたり前なのかもしれませんが(笑)、"図書館を残すために"何かをしようというのは、やはり、「逆」ではないかなと思うのです。

もちろん、ボクは図書館に価値があると思っているから司書になった訳ですし、図書館にはずっと存在しいて欲しいと思っています。
しかし、それは、あくまでも個人の意見。

少なくとも、公共図書館の場合は税金で運営されている訳ですから、

「税金を使ってでも図書館を設置する理由必要がある」→「図書館を運営する」

という流れが当然であり、

「図書館を運営する」←「このための理由や必要をひねり出す」

というのは、やはり、おかしいですよね?

なので、本来は、図書館の内部から図書館の必要性を訴えたり、どうにかして工夫をしぼり出すのではなく、ユーザ(納税者)自らに、その必要性を強く主張してもらい、もっとこうなれば、我々に必要な機関として、これからも図書館を存続させよう、そのためには、(もっと)税金を使おう、となると思うのです。

もちろん、予算管理・運営の観点から、ユーザのニーズは無尽蔵には聞けませんし(理不尽な要求はなおさらです)、図書館の機能を全く知らないヒト達に広く周知するためにアピール・広報するコトは、非常に重要です。

ただ、それでも、やはり、「必要」が先なのは変わらないと思いますし、もし、納税者に「不必要」と判断された日には、潔く、のれんをおろす判断をしなければならないと思います。

言うまでもなく、手をこまねいてボーっとその日を待つのではなく、日々、改善を重ね、本当にユーザに必要な施設になっていこうとするコトは、とても重要です。
しかし、もし、「生き残る」という言説の中に、「雇用」「働き先の消失」といった「私」が少しでも入っていれば、それを聞くヒト達は、たちまち、そのニオイを嗅ぎ分けられると思います。

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