2016年9月29日木曜日

「司書の書誌」第43回 司書の静寂

まだまだ話題のシン・ゴジラ
職場でも、複数回見に行った方が何人かいらっしゃいます(笑)。

さて、その中で、もうひとつ話題になったので、発生可能上映会
これは、通常、私語が禁止されている映画上映中に、いくらでも(?)を出していいというモノ。

スクリーンに(大声で)ツッコミを入れたり、鑑賞者で声を合わせたり。

予想どおり(?)、大変な盛り上がりだったようです。

で、このハナシを聞いて、スグに「発生可能図書館」というのを思いつきました。

先日、そのコトを職場で話すと、職場の企画担当から、

「あと1ヶ月早く、その発想が欲しかったわ」

と言われました(笑)。

映画と同様、原則として私語厳禁の図書館。
多くのヒトが勉強研究をするために集まっている場所なので、静寂を守るコトは、それぞれの集中のためにも、当然のコトと思われています。

もちろん、ボクもそうであるべきだと思うのですが、ただ、一方で、場合によっては、少しウルさいくらいのカフェの方が集中できたりしますし、事実、そう言っている方は少なくありません。
もしかしたら、「完全な静寂」が、集中にとって、最もいいわけでなないのかもしれません。

ただ、ポイントは、「適度にウルサい」という部分。
基本静寂で、たまに声が聞こえると、やはり、とても気になると思います。

いずれにしても、本来、集中が目的の静寂のはずなのに、いつのまにか、静寂自体が目的になり、ホンの少しの他人の会話が異常に気になったり、イラ立ちを感じてしまっては、かえって意味がないと思うのです。

大声でしゃべるのは論外ですが、もし、普通の声でしゃべっても構わなければ、どんな雰囲気の図書館になるのでしょうか?

ただ、少なくともウチの図書館の場合はお独りの利用が多いので、もし、発生可能でも、しゃべらない方の方が多く、やはり、たまの「発声」が、非常に目立ってしまうかもしれませんが……

同じく職場で、「発生可能図書館をやったらどうやろう」と言った時、ある方には、

『シン・圖書館』ですね」

と言われました。

スグにそういうリアクションが返ってくる職場にいるのも幸せですが(笑)、何が「シン」なのかは、最初から決めつけるのではなく、実際に試してみないと分からない部分もあるんじゃないかなと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿