2016年9月8日木曜日

「司書の書誌」第40回 司書の基準

寄贈された貴重書を公共図書館の職員が廃棄処分に→それをめぐっての議論百出 - Togetterまとめ

つい最近まで、長い間寄贈図書の受付の担当をしていたので、全くヒトゴトではなく、胃の縮まる思いがしました。

ただ、図書館側の事情としては、冒頭の新出さんの意見に、ほぼ、集約されていると思います。

図書館に勤めようというヒトは、ごくごく一般的な方達よりは本好きが多いでしょうし、そういう意味で、本の廃棄への抵抗感も平均以上には強いと思います。
また、同時に、「利用頻度の低い本は、価値のない本だ」とも、思っていないと思います。

ヒト・モノ・カネさえあれば、全ての本をキチンと整理して保存しておきたいのはやまやまなのですが、人員場所(保存スペース)、そして、それらを含めた予算の制約がある中で、何かを優先したら、何かを削らなくてはいけません。

利用者の方は、多くの場合、「自分 対 図書館」の軸でしか考えないと思いますが(それが当然です)、図書館側は、その、多くの「自分」間の要求や利便性のバランスを調整しなくてはなりません。
「自分」から見たら納得がいかない点も、もしかしたら、自分以外の方にとっては有益だというコトもあり得ます。

もちろん、寄贈者の方の気持ちも分かります。

蔵書を寄贈した場合ももちろんですが、自分が書いた(作った)本を寄贈し、それが結果的に廃棄される場合もあります。

ヒトそれぞれに価値観は違いますし、さらに、本を書こうという方は、自分の価値観が特にしっかりしている方だと思いますので、そういった、自分の価値観と違う判断や行動をされた場合には、なんというか、許しがたいと思われるのも当然だと思います。

図書館側にできるコトは、可能な限り明確な基準を示し、中での処理の過程をできるだけオープンにするコトかなと思います。
(ただ、明確な基準があっても、それに合致しているかどうかの判断は、機械的に、デジタルにできるモノでもないですのが……)

ともかく、本に何の思い入れもないヒトが、使われなかったり汚かったりする本を、てきとーにポイポイ捨てている訳ではないというコトは知っていただきたいです。

かつて、日本代表岡田監督が、なかなか結果がでないチームに対して、当時、いろいろ出ていた批判的な意見に対し、

「オレが日本で一番、日本代表のコトを考えている」

とおっしゃっていたコトが、今でも強く印象に残っています。

なんの仕事もそうだと思いますが、もし、自分の仕事に対して批判が出た時は、ハッキリとこう言えるようにしなくちゃなと思います。

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