2014年12月31日水曜日

「この世に生き残るものは、より強いものでもなく、より賢いものでもなく、変化に対応できるものだ」

真偽の程が怪しくても、いかにもそのヒトが言いそうなコトが、いつしか本当にそのヒトの発言として人々の記憶に残るコトがある。

たとえば、長嶋さんが、アメリカで、

「こっちの子どもは、英語がウマいねぇ〜」

と言ったとか、松本伊代さんが、自身初のエッセイ集について聞かれた際、

「私はまだ、読んでません」

と言ったとか、さらには、元イタリア代表のトッティが、

「僕だって、本ぐらい読むさ! たとえば、シェークスピア。 でも、シェークスピアって、誰が書いた作品だっけ?」

と言ったとか(まぁ、これはさすがに作り物臭いが)。

で、前置きが長くなりましたが(謝)、そんな中での、冒頭のコトバ。

一般的には、ダーウィン『種の起原』からの引用と言われているが、実際には、『種の起原』にはこのようなフレーズはないらしい(司書でありながら、「らしい」というのが情けないが)。

ただ、たとえそうだとしても、実際の現象としては、このとおりなのだろう。 特に、"先が見えない"と言われる現在は、なおさらかもしれない。
(ただ、「先が見えない」のは、いつの時代だって同じだったと思う。例えば、過去の日本の貯蓄率の高さがひとつの証左)

で、図書館。

今後、図書館が生き残って行くためには、今後、ますます変化し続けるであろう時代の要請や利用者のニーズに対応し、こちらも、どんどん変化していかなければならないのは、容易に想像できる(ただ、そもそも、図書館が生き残るべきかどうかについては、また、別の機会に)。

しかし、人間には、「ホメオスタシス」がある以上、その集合体である組織も、放っておけば、自らはなかなか変化するコトはできず、できるだけ、これまでの状態を保とうとする。
特に、「前例踏襲」が強い業界なら、なおさらだ。

そんな場合、変化を促すために最も手っ取り早い方法が「外圧」を利用する、つまり、新しいタイプのプレーヤを仲間を加えるコトだ。

……と思う中で、最近、少しは収まったかもしれないが、武雄市図書館に対する、図書館界の反発は凄まじかった。

全国の名だたるライブラリアンから、あんな厳しい目でチェックされたら、どこの図書館だって何かしらの不備はあるだろうし、なにより、ウチの新館開館時なんて、もっと酷評されていたに違いない(苦笑)。

もちろん、指摘されていような様々な問題があるコトも事実なのかもしれないが、一方で、個人的には、ぜひ、一度は行ってみたいあこがれの書店である蔦屋書店のノウハウが図書館に投入されるなんて、なんてありがたいハナシだろうと思う。

あぁ、それなのに……

せっかく、これまでにないタイプのプレーヤが図書館界に来てくれたのに、歓迎するどころか、邪魔者扱いしては、非常にもったいないと思う。
せっかく、図書館を活気づけたろう!と思ってきたのに、ここまで文句ばかり言われたら気ぃ悪いわ!もぉ、ええわ!と、いつ、出て行かれるか気が気ではありません(まぁ、そんなヤワではないと思いますが)。

問題点は指摘すべきですが、もし、反発の背景に、保守性閉鎖性があるのなら、超短期的には自分達のスタンダードが守れても、ほんの少し先には、今度は、自分達自身の首を締めるコトになると思うのですが……

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