2015年1月8日木曜日

司書能力の"コモディティ化"

カウンタでの、我々司書の大きな仕事の一つに、利用者が求めている本を探すコトがある。

幸い、それが決まったタイトルの場合なら、今のネット環境があれば、まぁ、だいたい見つかるコトが多い。
で、我々にとってはなんでもない日常的な作業なのに、利用者によっては、まるで魔法でも見たかのように感謝されるコトがあり、かえって申し訳なくなる時がある。

もしかしたら、これを「司書の専門性」と言うヒトもいるのかもしれないが(いないけど(笑))、コンピュータに触るのが一般的でなかった一昔前ならともかく、これだけネット検索が普通になった今なら、ほんのちょっとした知識があれば、誰でも同じようなコトはできるはずだ。
そして、こういった技術(というほどのモノでもないけど)は、個人的にはどんどんオープンにしていくべきだと思う。

しかし中には、そんなコトをしては、今はやりのコトバで言うと、司書能力の「コモディティ化」が起こったらどうするんだと心配するヒトもいるかもしれない。
まぁ、逆にいうと、その程度でコモディティ化するような専門性では情けないし、そこを守るためにノウハウをオープンにしなかったり、さらに周到にOPACを使いにくいままにしておく等(笑)、論外だろう。

さて、職人さんの世界では、まだまだ技術や知識をあまりオープンにせず、「見て盗め!」みたいな雰囲気があるんじゃないかとなんとなく思っていたが、「京都吉兆」の総料理長である徳岡邦夫さん京都吉兆しごとの作法という本に、こんな記述がある。
これまで職人の世界では、「見て盗め」という育成法がまかり通っていました。(略)しかし、「見て盗め」では、どうしても一人前になるまでに時間がかかります。
として、今までの育成法のデメリットを指摘したあと、その理由を、
では、このような育成法が、どうしていまだに幅を利かせているのでしょうか。
それは先輩職人が、自らの存在価値を保つためでしょう。
と、こちらが心配になるくらい、赤裸々にぶっちゃけ(笑)。
さらに、
逆に若くても、お客様を感動させる料理を作ることができれば評価は高まる。そのことを先輩職人はよく知っているので、自分が持つノウハウや情報をわざと出し惜しみして、少しでも若手の成長を遅らせようとするのです。
職人の世界では、いまたに「見て盗め」を美化する風潮があります。しかし、実際は職人が自己保身のために生み出した若手潰しに過ぎません。
みんなうすうす思ってたけど、そこは言わぬがフラワー……と思っていた件を、明確に言語化
そして、自分を含め、耳が痛いヒトが多いのでは……

では、どうしたらよいのか?
徳岡さんは、こう続ける。
しかし、もはや情報を出し惜しみする時代ではないと思います。
ITが発達して、ネットで検索をかければ誰でも知りたい情報を得られるいま、情報を持っていること自体にあまり価値はありません。
むしろいま評価されるのは、質の高い情報を自ら発信している人です。たとえば、料理のレシピも、どんどん発信すればいい。遅かれ早かれレシピは世に広まるのですから、自分から「考案者は私です」とレシピを公開したほうが、社会から必要とされる人間になれます。
う~む……
事実、徳岡さんは、ご自身のレシピを多くの著書でどんどん公開している。

自分が持っているノウハウをオープンにし、後輩が早く育てば、先輩はそれ以外のさらにクリエイティブな仕事に専念できる余地ができるだろう。
そしてそのコトは、そのお店自体や、ひいてはその業界全体がパワーアップしていく原動力となっていくはずである。

翻って、われわれ図書館も、たとえ隠していても、Web上の情報に関する検索技術は、早晩、コモディティ化するだろう。
それでも、本にしかない情報や、本とWebにまたがる情報、そして、そもそも探しものに関するカンセンスといった、伝えたくてもウマく伝わらない部分の技術は残るはずである。

というか、残らないとマズい(笑)。

できれば、自分の中に、少しでもそういった部分があるといいのだが。

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