世の中には、いわゆる正規の教育を受けず、独学で大成されたが何人もいらっしゃいます。
おそらく、安藤忠雄さんが最も有名だと思いますが、他にも、身近な例だと、アニメ作家の和田淳さんとか(笑)。
あと、もしかしたら、ロック・バンドの大半はそうかもしれません。
伝統的な訓練を受けたり、専門的な勉強をしてきたヒト達からすれば、独学というと、
「あいつらは何もわかっていない!」
と言いたくなると思うのですが、ある世界を外から見ていて、単純に「おもしろい!」と思った部分を、自分の解釈でさらにおもしろくしようとするヒトの方が、これまでの作法や慣習にしばられがちな「中のヒト」達より、より斬新で、より画期的なモノを作る場合があるかもしれません。
そう、図書館界では、今、オリ・ラジバリに何度目かのブレイクを果たしている(笑)カーリルさんとか。
しかし、もう一社、全く違う業種から図書館に興味をもち、自分たちの解釈による図書館を提供しようとしているいう企業がありますよね。
そう、「TSUTAYA」(CCC)さんです。
しかし、管見によるトコロ、図書館界はカーリルには寛容でも、TSUTAYAには厳しいように見えます。
それが、たとえば、いわゆる「お金儲け」に見えるかどうかが理由だとすると、まぁ、TSUTAYAはそうかもしれませんが(笑)、一方のカーリルも、今回の新しいAPIの件では料金を前面に出していますし、そういう点では、両者はあまり変わりはないと思います。
では、先達に対する敬意やリスペクトの不足が原因かというと、それはむしろ、カーリルの方かもしれません。
少なくとも、TSUTAYA図書館は、「現在の使えない分類を駆逐する」とは言っていませんし(言ってるか?)、カーリルの書誌同定はISBNをキーにしていますが、図書館には多く存在するISBNのない本への配慮が、少なくとも現時点では、図書館人が怒っても良い程度には低いと思います(今はあえてしている部分もあると思いますし、今後、対応されるとは思いますが)。
他にも、TSUTAYAの方は、コンプライアンスの面から問題がありそうなハナシは聞きますが、ただ、どうも「嫌悪感」の原因は、そこだけではないような気がします。
違う分野から図書館界(て、なんだ?)に参入してきて、大きな影響力を持っている点で、両者は非常によく似ているのに、ここまで反応が違うのはなぜでしょう?
もし、TSUTAYAのやっているコトは自分達でも分かるけど、カーリルのやっているコトは(技術的に)よく分からないというのが理由であれば、それはそれで、ちょっと恥ずかしいですよね(笑)。
実際にTSUTAYA図書館のユーザになったコトがないので、実は非常に使いにくい図書館になっているのかもしれませんが(ただ、行ったコトがあるヒトに聞くと、少なくとも、活気はあるようです)、図書館に、外からの発想で新しいモノをもたらそうとしてくれている点において、ボクは両者とも非常にありがたい存在だと思っています。
まぁ、外圧がないと変化しようとしない(できない)のは日本人の特性なのかもしれませんが、ただ、それを貪欲に消化・吸収し、結局、自分たちの一部にしていくのも、これまた、日本人の重要な特性のひとつだと思うのですが。
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