「ヒトに"オモロない"と言うヤツは、そついがオモロないからだ」
と言われて育ってきた(?)ので、今でもそのコトバをキモに銘じています。
子どもの時によく言われた(そして、今、まさに自分の子ども達に言っている(笑))、
「ヒトにバカと言うヤツが、一番バカだ」
という戒めと同じ構造です。
ただ、昔から不思議に思っていたのですが、他のモノに対して「オモロない」とか「バカだ」とか論評できるのは、少なくとも、その対象よりも自分が「上位」(つまり、オモロくて、賢い)にいるからではないかと、納得できずにいたのも事実です。
……なのですが、最近、その疑問解決のヒントになるような文章に出会いました。
いつものごとくで申し訳ないのですが(笑)、森博嗣さんの『本質を見通す100の講義』という本を読んでいたら、冒頭に、こんな一節がありました。
本というのは、窓から射し込む光のようなものであって、それで貴方の部屋が明るくなることもあれば、埃や汚れを際立たせることもある。でも、それは貴方の部屋なのだ。光が作ったものではないし、僕は、貴方の部屋を知らずに書いているのである。あまりにも見事な表現に、しばし、呆然としてしまいました。
あるときは、その光で貴方自身の影がくっきりと壁に映し出されるかもしれない。自分の姿のアウトラインは滅多に見られるものではないから、じっくりと観察して、楽しんでもらいたい。本を読む醍醐味は結局はそこにある。
これは、同じ本を読んでも、ヒトによって全く違う感想をもつのはもちろん、同じ人間が同じ本を読んでも、時期によって感じ方が違うという不思議な現象の説明になっています(つまり、その時々で、部屋の様子が変わっている)。
で、フと思ったのですが、これは、何も本だけではなく、全てのインプットについて言えるのではないか、と。
あるモノ(または、ヒト)を見て、「オモロない」と感じる。
しかし、それは、その"光"によって照らし出された自分の部屋を自分で見て、結局、そこにオモロいモノがないというコトなのではないかと。
かつて(20年位前?)、ダウンタウンの松ちゃんが、
「ジャンボジェットに乗って、窓から外を見ていると、翼(フラップ?)がひとりでふわ~っと動いている。自分は、それを見ているだけでオモロくてしょうがないが、どうして、みんな、平気なんやろ」
という趣旨のコトを言っていました。
その発言を聞いて、周りの出演者は、「ぽか〜ん」としていましたが(笑)、つまり、そういうコトなのだと思います。
自分の部屋がオモロいモノで満たされ、豊かであるならば、たとえ、どんな光で照らされても、自分の目に映るのは、幸福なモノのはずです。
だから逆に、たとえ、自分が発した"光"(たとえば、映画(笑))が「40点」と評価されても、それは、あくまでも、その作品によって照らしだされた評者の部屋の点数なのであって、特に気にするコトではないんじゃないかと思ったり(笑)。
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