2016年10月27日木曜日

「君の名は。」

さて、昨日の宣言により、月刊誌第1号休刊になったため(笑)、それ用に準備していた記事をこちらにアップ。

『見ブツ記 「君の名は。」の屋上屋』

そりゃ、感受性の欠片すら摩耗してなくなってしまった40代後半のおっさんですら自然と涙が出てしまうのだから、コア・ターゲットの思春期ど真ん中のコ達にとっては、ササリまくって仕方ないのでしょう。

という訳で、君の名は。である。

今さら説明の必要がないであろう空前の大ヒット作なので、作品紹介は割愛させていただくが(といっても、個人的にはごくごく単純な入れ替わりモノを想像していただけに、予想以上に複雑なストーリィで、結局、よく分からなかったのだが(いつものコト))、おそらく誰しもが、思春期の同じような時期に同じように経験する思いを、実に見事に描いている作品だと感じた。

それはつまり、何かとても大切なモノを忘れてしまったような感覚、自分は果たして運命のヒトに会えるのだろうか(もしくは、すでに会っているのに気づいていないんじゃないか)という焦り、そして、日常的に感じる「切なさ」としか表現できないような苦しさ……

それらが、たとえ、この時期特有のホルモンのせいだったとしても(笑)、誰しもが経験するが故に、これだけ多くのヒトの共感を得たのだろう。

そして、それらのヒト達のほとんどが、「若気のいたり」とか「そんな時期もあったなぁ」で忘れてしまったり、強引にフタをしてしまっているその感覚に、ある意味、臆面もなく真正面からとりくみ、美しい映像やストーリィ構成、そして、音楽を含めた巧みな演出で表現できる手腕が、新海誠監督の真骨頂なのだろうと感じた。

それにしても、どうして、大切なヒトの名前を知ろうとするコトが、あそこまで感動的なのだろう?

古来、日本人は、呪いに使われる等の理由で、よっぽどのコトがない限り、自分の本当の名前は隠しておき、その大切な自分の名前を相手に知らせるコトが恋愛の真骨頂だったと古典の時間に聞いたような気がするが(ウロ覚え)、いまだに我々にも、そういった日本人ならではのDNAが残っているというコトなのだろうか?(なので、外国では、この作品はどう捉えられるのだろうと思ったり)

とにかく、アニメーションというコトで、何かとジブリと比べられているが、なんか、あまり意味がないカテゴライズのような気がする。とにかく、新海監督がおっしゃっているように、難しいコトを言わず、良質のエンターテインメントとして、思う存分楽しめばよいのではないだろうか。

そして、最後の場面。

俯瞰している我々からすると、思わず「行けっ!行けっ!」と心の中で叫んでしまう場面だが(笑)、現実は、「このヒトが運命のヒトかも」と思っても、自分の思いに確信が持てなかったり、逆に、持ちすぎると、ストーカとなってしまう現在である(苦笑)。

だから、実際は、あの場面ではとんでもない勇気がいる訳だが、かつて、その勇気が出せなかった自分(もしくは、出せた自分)に、もう一度、映画館で会えるかもしれません。

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