今日は、午後から某大学への出張があり、そのため、遅出出勤の午前は、急いでその準備と早弁ののち、お昼カウンタで、終了後、スグに一番エラいヒトと出かけました。
そのかいあってか(?)、会談も無事済み、収穫のある出張となりました。
……が、帰館してから各種のトラブル(明日の運動会延期のメールも含む(笑))があり、それへの対応。
しかも、最後にシステム系に関する利用者からの難しい問い合わせが……
ボクが電話を受けたので、いろいろ見てみたのですが、さっぱり分からず(コレ自体は、珍しいコトではない)、システム担当に相談に行きました。
今日は、超ベテランのシステム担当が出張でおらず、今年度からの新担当さんにお願いしたのですが、少し手間取ったモノの、最終的に無事、解決!!
ボクも、我がコトのようにウレシかったです(いや、我がコト)。
で、そのできごとでつくづく感じたのですが、2人の担当とも、ボクと違って、実にシステム向きの思考回路を持っているなというコト。
というのは、何か問題が起こった際、アタマの中にフローチャートのひし形が出てきて、そのひし形の下と右に「イエス」と「ノー」が別れ、さらにそれぞれの先に、新しいひし形ができて、そこからもまた、「イエス」と「ノー」が別れ、それがさらに……とたどっていき、最終的に、
「こことここがイエスなのに、次がノーだから、ここに問題があるんじゃないか」
とか、
「この場合はイエスでこの場合はノーだから、ここをイエスにしたら、こういう結果がでるはず。だから、こうすれば問題が解決するんじゃないか」
というような考え方ができるというコトです。
かえって分かりにくいかもしれませんし、単に一言「論理的」と言えばいいのかもしれませんが(笑)、ボクの場合、2個目のひし形の段階で、もう、メンドくさくなって、考えるのがイヤになるのです(早すぎ)。
結局、コンピュータて、そのひし形の繰り返しで動いている訳ですから、それをアタマの中でずっと続けられる脳の根気が、コンピュータに発生する問題の解決(原因究明)のために、つまり、システム担当に何よりも大事だと思うのです。
……というようなコトを、その新人システム担当に話すと、
「え?それって、普通のコトじゃないですか?」
と言われました。
……みんな違って、みんないい。
で、さらに彼としゃべっていると、
「なぜ、いいヒトと思われないといけないか」
という話題になりました。
前にも書いたと思うのですが、なぜ、大抵のヒトは、他のヒトに「いいヒト」と思われようとするのでしょう?
勘違いしないで欲しいのですが、自分の信条として「いいヒトであろう」とするのは素晴らしいコトです。
そうではなく、「いいヒトと思われる」ために、ムリをしたり、本当はやりたくない行動をするのに、一体、どんな意味があるのだろうというコトです。
もちろん、自分が本当にやりたくてそういう行動をするのはいいのですが(お年寄りをおぶって横断歩道を渡るとか(笑))、そうではなく、いいヒトと思われるために、イヤなコトをやって、ストレスをためるのは、なんというのか、よく分かりません。
むしろ、一度、「いいヒト」と思われると、次も期待されますし、期待に添えないと失望(なんなら罵倒)されるのです。
そうであるなら、わざわざ悪いヒトと思われる必要はありませんが、ムリをしてまで、いいヒトと思われたり、自分を取り繕う必要もないと思うのですが……
で、それに関連して、大抵のヒトは「2回の"なぜ?"」を超えられないというハナシもしました。
どういうコトかというと、たとえば、
「なんでいいヒトと思われないといけないの?」
と聞かれて、みなさんはスグに答えられるでしょうか?
その新人さんも即答できませんでしたし、ボクも分かりません。
(だから、上のように考えている訳です)
つまり、これなど、「1回目のなぜ」すら超えられてない訳ですから、もし、そこで答えが出ても、じゃあ、今度はそれはなんで?と聞かれたら、なかなか答えられないと思うのです。
つまり、大抵のコトを、あまり深く考えてない。
(ボクだけかもしれませんが(笑))
ちなみに、「少子化問題」と口に出したコトがあるヒトは、なんで少子化が問題なのか、教えてください。
まぁ、さすがにこれはいくつか出るかもしれませんが(ボクは思いつきませんが)、では、そこで出てきた答えは、一体、なんで問題なのでしょう?
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