2014年12月12日金曜日

「面倒くさい」とは何か?

なんと言ったらいいのだろう、あの、「面倒くさい」に伴う独特の不快感

そうだなぁ〜、たとえば、今なら年賀状(おいおい)。

ともかく、自分を含めた自称「面倒くさがり屋」のみなさんは、なるべく面倒くさいコトは避けようとすると思うが、朝の書架整理等で、職場の本棚をパラパラと見ているだけで、

「ダメだよぉ〜、その面倒なコトこそ、やらなきゃダメだよっぉ〜っ!」

と、ラモス、もしくは欽ちゃんのように訴えかけてくる本がいくつも目に入ってくる。

たとえば、その名もズバリ、面倒だから、しようという渡辺 和子さんのベスト・セラには、
人には皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うことなのです。したくても、してはいけないことはしない。したくなくても、すべきことをする。自由の行使こそは、人間の主体性の発現にほかなりません。
とあり、また、別の個所には、
かくて私は、学生たちに「『面倒だからしよう』と呟いて、『しようか、どうしようか』と迷う時には、してごらんなさい。きっと、その積み重ねが、あなたがたを美しくしてくれるから」と話しています。
とあります。

また、サービス業界のコンサルタントをされている江澤博己さんが書かれたちょっと面倒なことがあなたを変えるという本には、こんな一節が。
つまり、「ちょっと面倒なこと」をやってみると、本当に、びっくりするくらいクレームの数が減る。
(中略)
そのうち、ぼくは考えるようになる。
-自分の心に引っかかる「ちょっと面倒なこと」。それを順番に、意識してやっていけば、自然と、仕事も人間関係もうまくいくようになるんじゃないだろうか-。
さらに、松浦弥太郎さん今日もていねいに。には、一層ツッコんで、こんな記述が。
しあわせになりたい、成功したいのなら、
口癖になっている「面倒くさい」を言わないことです。
「面倒くさい」ことにこそ、あなたらしさの表現があり、
ほんとうの楽しさがあり、得られる収穫があるのです。
「面倒くさい」ことを避けてはいけません。
「面倒くさい」ことだからこそ、まっすぐに向き合って、
存分に楽しみながら、誰よりも一生懸命に行いたい。
しあわせと成功の秘訣です。
う〜む……

つまり、「面倒くさい」とは、その行為に十分に価値があるコトは分かっていて、かつ、そのやり方や、その行為を遂行する能力が自分にはあると分かっているのに、なぜか、ヤル気だけが起きない時に感じる感情なのではないでしょうか。

だから、面倒くさいコトこそやった方がいいのでしょうが、では、なぜ、「ヤル気」が起きないのでしょう?

それはもちろん、その行為自体がツラかったり、シンドかったりする場合もあるでしょう。
しかし、それ以上に、実は、その行為をしても、なんの刺激もないコトが大きな原因ではないかと思ったりします。

そう思うと、「面倒くさい」と「あたりまえ」の関係も見えてくるような……

まぁ、いろいろ御託を並べても、結局、自分が実際に行動を起こさなければ、何も解決しない訳です。

ボチボチ、住所書きでも始めますか……(涙)

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