2014年12月31日水曜日

「ソウル」を感じて演奏する

吹奏楽部(団)というのは、特にお祭りを中心に、地域のイベントみたいなモノに呼ばれる機会が多くあります。

で、その際、吹奏楽を知らないみなさんでも楽しんでもらえるように、アニメドラマ映画主題歌テーマソングを演奏するコトが多いのですが、自分が子どもだった時、おじさん達(失礼)が演奏するそれらの曲は、どうも、もうひとつツマらなかった(大失礼)記憶があります。

しかし、その原因は明らかで、演者達が、その元になっているアニメ(なり)を知らないどころか、原曲すら聞いたコトがなく、単に、楽譜だけを見て演奏しているからなのです。

我々ミュージシャンがそれらのヒット曲を演奏する場合、主に、3つのパタンがあると思います。

1 楽譜だけを見て演奏する。
2 CDを借りるなりダウンロードするなりして、原曲を聞いてから演奏する。
3 さらに、その曲だけでなく、その元の作品まで見て演奏する。

実際に楽器を演奏しない方でも、3に向かうにしたがって、演奏がよりアツくなるのは分かっていただけると思います。

では、それはどうしてなのでしょう?

自分には全くできませんが、専門的な教育を受けたヒト達にとって、ある曲を楽譜にするコトは、比較的に簡単にできると思います。
そして、その結果できる楽譜は、おそらく、ほとんど同じモノになると思います。

しかし、逆に、同じ楽譜を違うヒトが、いや、同じヒトが演奏した場合ですら、無限のヴァリエーションが生まれます。
それは、音楽を楽譜にする間に、元の音楽に含まれる膨大な量の情報が削られてしまうからです。

もちろん、音楽の楽譜化、つまり、デジタル化による恩恵は多い訳ですが、例えば、楽譜は、元の音楽の音色すら、完璧に記述できません。
ましてや、その曲の空気気分等は、言わずもがなです。

なので、個人的には、演者の中に、それらの楽譜化で失われた情報を、あらかじめ別の方法でインプットしておくコトが必要なのかなと思いますし、その程度の努力(というには、楽しいコトですが)は、当然だと思います。

さて、では、次の段階として、2と3の間には、違いはあるでしょうか?

確かに、音楽的には、原曲を聞いていれば、元曲の雰囲気により近づいた演奏ができるはずです。
しかし、その演者の中に、さらに、「あまちゃん」なり「アナ雪」なりの作品そのものがあるかどうかは、明確にコトバでは表現できないにせよ、やはり、演奏が違ってくると思うのです。

それが、漠然としていますが、その曲に込められた「ソウル」だと思いますし、それを表現する(できる)コトが、これだけコンピュータが発達した現代に、人間が演奏する意味ではないでしょうか?

もちろん、新曲をセットリストに加えるたびに、元の作品に立ち戻って全て鑑賞するのは難しいと思います。
ただ、ヒット曲を演奏する機会が多い以上、その演奏を聞いてくれるお客さんの中にはその作品があるコトが多いコトを思えば、こういった視点も、多少、必要ではないでしょうか?(て、誰に向かって言ってるんだ?(笑))

まぁ、それでも、まだアニメやドラマだったら、著作権の問題はともかく、これだけ動画サイト全盛の時代なら、以前とは比べ物にならない程、容易に見るコトが可能になりましたが、これまた、お祭り定番の昔の歌謡曲(懐メロ)を、今の学生さんが吹くというシチュエーションだと、当時の雰囲気までつかむのは、なかなか難しいと思いますが……

ユッフォ!!

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