本当にありがたいコトに、京都には、全国からわざわざ訪れるヒトがいるような有名ラーメン店が何軒もある。
ただ、ザンネンなコトに、どんなに評判でも、実際には行くコトができていないお店がまだまだ何軒もあるので、職場等で、
「あ〜、あのお店に行ってみたいなぁ」
等と独り言を言っていると(おいおい)、たいてい、
「あっこも、昔(昔って)はウマかったけど、最近は味が落ちたなぁ」
と言うヒトが、周りに必ず現れる。
もちろん、たまたまそのヒトが、そんなドヤ体質だっただけかもしれないが、しかし、こう何人もいるコトを思うと、どうもそれだけではなく、少なくとも本人は、本当にそう感じているのだろうと思ったりする。
では、なぜ、こうもことごとく、有名になったお店の味は落ちる(落ちたように感じる)のだろう?
あるお店が一気に有名になり、その結果、「味が落ちた」というと、一般的には、儲けを多くするために材料の質を落としたんじゃないかとか、回転を上げるために作る工程で手を抜くようになったんじゃないかとか思うだろう。
つまり、問題は店側にあると考える訳だが、果たして、本当にそうだろうか?
初めて評判のお店を訪れる時は、もちろん、味に対する期待(ワクワク)もさるコトながら、お店の雰囲気や、注文方法すら分からない状態(ドキドキ)である。
さらに、初めて食べるため、良いにせよ悪いにせよ、インパクトや感動がある。
当然のコトながら、2回目以降はこれらの要素がなくなるか、少なくなる。
つまり、簡単に言うと「慣れ」な訳だが、これによって、どうしても、最初に感じた新鮮な驚きがなくなり、これが「味が落ちた」ように感じるひとつの原因ではないだろうか。
まぁ、毎日ご飯を作ってくれているヨメに、心底呆れられるほどの味音痴の自分が言っても説得力がないが(苦笑)。
ともかく、そんなコトを考えつつ思うのが、それこそ、本当の昔からずっと続くお店や、人気のあるお菓子なんかのコトである。
よく聞くハナシだが、我々が子どもの頃から今も変わらずあるお菓子等は、上記のような問題を回避するため、お客さんには気づかれないように、常に少しずつ改良されているという。
つまり、「変わらぬおいしさ」のためには、常に変わらなければならないというパラドクス(← 使い方、合ってる?)。
まぁ、それを、黙っていられずに、つい自分で「さらにおいしくなりました」と言っちゃうトコもあるけど、いずれにせよ、常にユーザや時代の要請に応え、変化を続けないと、「変わっていない」とすら思ってもらえないのである。
逆に言うと、「停滞」は「後退」なのである(あ、ちょっとウマいコト言った)。
で、もちろん、このコトは、食の分野だけではないはずで、一度訪れたお店やサービスが、何度経験してもいつも素晴らしいと思ってもらうためには、常に変化し、改良し続けられなければならない訳である。
それを、面倒と思うか、やりがいがあると思うか、でしょうか(笑)。
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