今日は、昨日の休みでたまった案件と、大山で後回しになっていた案件を片っ端から片付け、どうにかほとんど終了。
ただ、大山で今年度の方針が決まったため、各種の委員会や会議が一気に動き出し、慌ただしい感じになってきました。
結局、気は抜けません。
しかも、それらの会議をやる頃に、ちょうど人事異動があるのです。
日程だけ決まったあと、大きな異動があった場合、どうなるのでしょう……?
相変わらず、「若者の読書(活字)離れ」を憂う言説をよく見かけます。
しかし、みなさん、そういうのって、どこで見かけます?
圧倒的に、本や雑誌や新聞といった文字媒体が多いんじゃないでしょうか?
たとえば、食肉団体が「肉はカラダにいいです」と言ったり、電力会社が原発は必要と言った場合は、大抵、ポジショントークと捉えたり、場合によっては眉唾モノとすら感じるように思います。
しかし、読書については、それが商業的な文字媒体で主張されていても、あまり、上記の例と似たようには捉えられないと思います。
なぜでしょう?
ボクは司書でありながら(だからこそ?)、以前から、「読書は善」と所与の条件のように言われると、どうも、反発したくなります。。
読書離れを嘆くヒト達は、もし、このまま若者達が読書をしなくなったら、一体、何がマズいと思っているのでしょう?
読解力や思考力が養われない?
では、それらがなかったら、なにがマズいのでしょう?
(途中をはしょって)社会が衰退する?
では、社会が衰退したら、何がイケないのでしょう?
もちろん、ボクも社会は衰退しない方がよいとは思いますが(笑)、ただ、もし、そこまで考えて「読書離れ」を嘆き、それらの解決のために読書を勧めているならば、もっとその懸念材料に直接効くようなソリューションを探した方がよいと思うのです。
なんというのか、初めから何も考えず、「読書離れ」が「問題」と言われているように感じるので、それが不思議です。
似たような例で、「少子化"問題"」もあります。
少子化はなぜイケないのでしょう?
ホントの入口の、そこすら問わずに、初手から「問題」と言っていないでしょうか……?
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