2018年4月28日土曜日

後整理と問答

今日は、昨日の休みでたまった案件と、大山で後回しになっていた案件を片っ端から片付け、どうにかほとんど終了。

ただ、大山で今年度の方針が決まったため、各種の委員会会議が一気に動き出し、慌ただしい感じになってきました。

結局、気は抜けません。

しかも、それらの会議をやる頃に、ちょうど人事異動があるのです。

日程だけ決まったあと、大きな異動があった場合、どうなるのでしょう……?

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相変わらず、「若者の読書(活字)離れ」を憂う言説をよく見かけます。

しかし、みなさん、そういうのって、どこで見かけます?
圧倒的に、雑誌新聞といった文字媒体が多いんじゃないでしょうか?

たとえば、食肉団体が「はカラダにいいです」と言ったり、電力会社原発は必要と言った場合は、大抵、ポジショントークと捉えたり、場合によっては眉唾モノとすら感じるように思います。

しかし、読書については、それが商業的な文字媒体で主張されていても、あまり、上記の例と似たようには捉えられないと思います。

なぜでしょう?

ボクは司書でありながら(だからこそ?)、以前から、「読書は善」所与の条件のように言われると、どうも、反発したくなります。。

読書離れを嘆くヒト達は、もし、このまま若者達が読書をしなくなったら、一体、何がマズいと思っているのでしょう?

読解力思考力が養われない?

では、それらがなかったら、なにがマズいのでしょう?

(途中をはしょって)社会が衰退する?

では、社会が衰退したら、何がイケないのでしょう?

もちろん、ボクも社会は衰退しない方がよいとは思いますが(笑)、ただ、もし、そこまで考えて「読書離れ」を嘆き、それらの解決のために読書を勧めているならば、もっとその懸念材料に直接効くようなソリューションを探した方がよいと思うのです。

なんというのか、初めから何も考えず、「読書離れ」が「問題」と言われているように感じるので、それが不思議です。

似たような例で、「少子化"問題"」もあります。

少子化はなぜイケないのでしょう?
ホントの入口の、そこすら問わずに、初手から「問題」と言っていないでしょうか……?

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